パンとイスラム教 Vol.21

皆さんは以下のようなジョークを聞いたことがあるだろうか。

・犯罪者の98%はパンを食べている。
・パンを日常的に食べて育った子供の約半数は、テストが平均点以下である。
・暴力的犯罪の90%は、パンを食べてから24時間以内に起きている。
・パンは中毒症状を引き起こす。被験者に最初はパンと水を与え、
後に水だけを与える実験をすると、2日もしないうちにパンを異常にほしがる。
・新生児にパンを与えると、のどをつまらせて苦しがる。
・18世紀、どの家も各自でパンを焼いていた頃、平均寿命は50歳だった。

上記はパンについて誤ったことは述べていないが、
パンは危険であるという印象を与えることに面白みがある。

マレーシアへ向かう飛行機の中で横に座っていたマレー系シンガポールの方と話をする。
彼女は元々仏教徒だったのだが、15年ほど前にイスラム教に改宗したとのこと。
旦那さんは日本人で、娘さんもいらっしゃる。

やけに“おばちゃん”という発音が流暢なこの50代半ばくらいの方は
イスラム教への間違った認識を嘆いていらした。
学校で娘がイスラム教だからといじめられたこともある。
自身に対しても仕事中は日本人も普通に接してくれるが、
外を一緒に歩こうとはしてくれないらしい。
ビジャブというスカーフを頭に巻いている為、一見してムスリムとわかる為だ。
キリスト教や仏教の人が犯罪を犯した場合はその動機や事件の背景が報道されるのに、
イスラム教徒が犯罪を犯した場合はなぜか宗教のレッテルが全面に出る。

少し前にイスラム過激派による犯行とはいうものの、
その国のほとんどの人がイスラム教だった場合、
単にその母集団における過激派なわけでイスラム教というのを付けることに
正当性を感じないといった内容のブログを読んだ。

まさにその通りだと思う。僕個人に関して言えば、イスラム教の人に危険な目にあわされたり、
何か変なことを言われたということは全くない。
むしろとても礼儀礼節を重んじ、人に親切にしてくれる印象しかない。
例えばトルコを旅行した時も皆にとてもよくしてもらった記憶しかない。
唯一あるとすればインドでトイレを貸してもらえず、
結局UOA(Unko in the Open Air)をすることになった思い出くらいだ。

しかし多くの日本人はイスラム教の人と接したことがなく、
情報を報道に頼っている現状があるので、
どうしてもイスラム教への偏見を持つことは仕方がない部分もあるかもしれない。

そう考えたときにやはり自らの一次経験というものの価値を再確認する。
人から伝え聞いたこと、新聞やTV等のメディアから得た情報、
本から得た知識、それらはもちろん大切だがやはり第一に依るべきは個人の経験と思考なのだ。

かつろう

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プロジェクトマネジメント?リスクと課題? Vol.20

先日アクセンチュア様がCSR活動の一環としてNPO向けに行ってらっしゃる
プロジェクトマネジメントについてのワークショップに参加させて頂いた。
今回は主にプロジェクト管理のリスクと課題についてのものだった。

もちろん日々の全ての業務においてリスクを洗い出すということは時間的に不可能だが、
重要な業務・プロジェクトには必ず行うべきだと感じた。
それを行うことで何かあった時にすぐにリカバリーが出来、
納期通りにプロジェクトを運営できるようになる。

学生団体や大手NGO等様々な方が参加されていて、とても勉強になった。
以下そのワークショップの内容。

●リスクと課題の違い

リスクとはまだ顕在化していない(起こっていない)プロジェクトの目的達成や
順調な作業の妨げになる可能性があるもの。

課題とはすでに顕在化していて(起こっている)プロジェクトの
目的達成や作業の遂行の為に解決すべき事象。

●リスク管理のポイント

・網羅的なリスクの洗い出し
リスクは出来るだけ広く、網羅的に洗い出すことが望ましい。
その手法としてブレインストーミングが適切。実際アクセンチュア様でも
リスクの洗い出しにはブレストを使うことが多いとのこと。
出たものをフレームや軸に落とし込んで再度、抜けがないかチェックをする。

・優先順位づけ
リスクの優先順位をつける。
影響度と発生確率をそれぞれ3段階でスコアを付け掛け合わせる。
影響度×発生確率。それが9点のものから優先的に対応策を考えていく。

・対策の検討
【回避】リスクが顕在化、発生しないための対策。
例えば遅刻をしない為に集合時間の1時間前に到着するようにしておく等。
【軽減】リスクが顕在化した場合の影響を小さくする対応策。例えば担当者が遅刻した場合にはその業務を行う人を事前に決めておく等。

・その他
参考になるフレームワークとしてはQCD管理が使える。Quality(品質、パフォーマンスに関するリスク), Cost(コストオーバーのリスク), Dead line(期限内に終わらないリスク) 。

●課題管理のポイント

・内容の把握
何が問題なのかを把握し、その影響範囲を特定する。

・完了条件
その課題はなにを持って解決されえたとするのか。

・対応方針
その課題を解決する方針を決める。複数設定できる。

・対応期限
いつまでに対応しなければならないのか。
そのためには解決のための各タスクのスケジュールを決めないといけない。

・担当者

・ステータス(未着手、対応中、対応完了等)

●その他

・クリティカルパスの洗い出し
各タスクの依存度関係を整理する。例えば各タスクを○で表現し、それを矢印でつなぐ。
つまり前のタスクが完了しないと次にはいけないという関係がわかるようにする。
またその矢印に完了までに要する期間も書く。
もちろん矢印は複数のび、一つのタスクも複数のタスクの後になる場合もある。

クリティカルパスとはその中で最も合計が長くなるタスクのことだ。
つまりクリティカルパスが遅延すれば、そのプロジェクト全体が遅延するということになる。

つまり期限内にプロジェクトを終わらせる為には、クリティカルパスを洗い出して、
常に進捗に気を使うことが必要なのだ。

・クラッシング
人員を追加することでスケジュールを短縮させる方法。
コストがかかりまた追加人員の生産性は担保されない。

・ファスト・トラッキング
順番が先のタスクも並行して進めていくことでスケジュールを短縮させる方法。
前のタスク如何によって手戻りのリスクがある。

●プロジェクト管理を行う上で最も大切なこと

【コミュニケーション能力】

プロジェクトには社内外で様々な人が関わってくる。
その人たちと折衝、調整等を常に行う必要がある。
フレームワークや進捗管理の手法などももちろん大切だが、最も必要とされるのは
そういった多様な人をまとめ、動かす為のコミュニケーション能力である。

かつろう

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“道具”としての孤独?引きこもりのススメ? Vol.19

僕はたまに引きこもる。
誰にも会わずに、大して生産的なこともせずに数日引きこもるのだ。

自分自身についての考えを深化させる為だ。

日々仕事であったり、遊びであったり何かすることがあると人は満たされてしまう。
忙しく、何かやることがあると自らの人生に対して迷うということをしなくなる。
自分の人生にとって大して重要でないことであっても、何か“やった気”になってしまうのだ。

精神も安定するし、楽しく充実した日々を感じられるがとてもそういう日々はとても危険だと考える。
現状に対して疑ったり、将来に対して本当に意味のあることを考えたりしなくなるからだ。
そういった日々に流され続けていると気が付かないうちに打つ手がなくなるリスクがある。

そんな時に敢えて引きこもることによってものすごく危機感を感じることが出来るようになる。
自分は本当は何をしたいのか、何をすべきなのか、人生にとって重要なものとは何なのか、
重要な人とは誰なのか、そういったことを落ち着いてゆっくり見つめ直すことが出来るようになる。

『孤独は、知恵の最善の乳母である。』とはドイツの哲学者の言葉だがまさにその通りだと思う。
孤独は思考の原点だと思う。

中学、高校の自分の方が間違いなく物事に対して考えていた。思考を深化させていた。
それはやはりその時の方が孤独が多かったからだと思う。
しかしある時、考え過ぎることは不幸につながると感じ、考えるのを辞めた。思考を捨てた。
それにより豊かになることが出来た。
そのおかげで様々な活動をし、様々な人に出会い、様々な経験を出来た。

人の考え方とは振り子のようなものなのかもしれない。
孤独にどっぷりと浸かった後は、それとは逆の方向に活路を見出した。
しかしまた今揺れ戻っていて孤独を求めるようになっている。

しかし昔は孤独に飲み込まれる感覚があった。
しかし今は孤独と上手く付き合って行ける気がする。

言ってみれば昔は泳ぎ方・息継ぎの仕方をしらなかった。
知らないけれど深くまで潜ってしまい溺れそうで苦しかった。
そして浅いところで泳ぐ練習をし、再度深い所に戻ろうとしている。
今回はしっかり泳げるし、肺活量も上がっている。溺れることもない。

孤独を道具として上手く扱うことが出来れば、
人生を上手くコントロールすることが出来るようになるのではないか。

かつろう

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エヴァンゲリオンと貧困層のエンパワーメント Vol.18

※以下エヴァンゲリオンのネタバレを含むので注意。

先日エヴァンゲリオンのテレビシリーズを全て見切った。今更感満載ですが。
これが放送されていたのが1995年?96年らしい。
20年がたとうとしている今でもとても面白く引き込まれる。
手塚治の漫画のように時代を経て残っていく作品なのだろうと思う。

その最後のシーンで主人公碇シンジが『僕はここにいてもいいんだ』ということに気付く。
もともと彼は自分には価値がない、自分には居場所がないと思って生きていた。
誰にも必要とされていないと感じて生きていた。
しかしある日エヴァンゲリオンのパイロットに選ばれ、必要とされる。
自らの存在価値をエヴァンゲリオンに乗ることと規定する。
つまりエヴァンゲリオンに乗るからこそに自分は必要とされていると思うのだ。
裏を返せばエヴァンゲリオンに乗れなくなってしまえば彼自身は生きる価値を失う。
エヴァンゲリオンに乗って使徒を迎撃するからこそ皆は自分に居場所を与えてくれると感じる。

しかし最後彼は気づくのだ。たとえエヴァンゲリオンに乗らなかったとしても
自分はここにいても良いのだと。無条件の自己肯定だ。
お金を持っているから、良い大学に通っているから、いい仕事をしているから、
家族がいるから、外見が良いから、そういった諸要件を全て抜いたとして
自分が自分を認められるかという無条件の自己肯定を彼は得るのだ。

実はこの感覚は貧困層にとってもとても得難い場合があり、得るべき感覚なのだ。
貧困層は色んな劣等感を持っている場合がある。
例えば教育を受けていない、読み書きが出来ない、親がいない、
お金がなくて満足に食べられない、着飾れない、
そういった経験から自分に対する肯定感が低い場合があるのだ。
そういった彼ら、彼女らにとって必要なのは究極的には無条件の自己肯定感なのだ。
自らの生に対して自信を持ってもらうことなのだ。

教育は大切だ。読み書き計算ができるようになり、様々な知識をつけていくことはとても大切だ。
しかしそれ自体が目的なのではない。それが出来るようになることにより、
本を読み、仕事が出来、お金が稼げ、生活が安定する。
そして最終的には自分の存在を無条件で肯定できるようになるということが
最終的な目的の一つなのではなかろうか。
自分自身への尊厳を持って生きるということが教育の一つのゴールなのではないか。

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この自己肯定には二つの段階がある。

一つは途上国の貧困層が感じるように、
基礎的な教育やライフスキルトレーニングなどの欠如による段階だ。
もう一つは碇シンジのように先進国において、ある程度生活の条件は整っているのに、
自己否定感を感じてしまう段階だ。

前者の場合は教育やライフスキルトレーニングを通してそれを補うことが出来るとする。
では後者が自己肯定感を感じる為にはどうすれば良いのだろうか。

その為には他者からの無条件の承認が必要なのではないか。
例えば親からの無条件の承認、恋愛を通しての無条件の承認、友人からの無条件の承認、
そういった無条件の承認を得られることで自分自身を無条件に肯定できるようになるのだと思う。
碇シンジの場合もそういった承認がないような環境で育ってきていたが、
やがてエヴァンゲリオンに乗る中での人と関わり、承認を得るようになる。

では肉親以外の他者から無条件の承認を得る為にはどうしたら良いのか。
(前提として親等の肉親からは無条件の承認を得られることとする。
逆にそれが得られない場合はそれを変えるのは難しいと考える。)

その為にはまずは自分自身が他者を無条件に承認することだと思う。
人は自分を映す鏡だ。
自分から人に対する関わり方が、人からの自分に対する関わり方になると思う。
自分が人を無条件に承認することによって、人から無条件に承認されることになる。
そして人から無条件に承認されれば、自分自身を無条件に承認出来るようになるのだ。

途上国で人をエンパワーメントする際には具体的な手法や、
心理的励ましといったことが必要になる。
しかし、その前提として無条件にその人を認めてあげることがまずは大事なのだと思う。
この原則を忘れずに、世界中の人と接して行きたい。

かつろう

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