エヴァンゲリオンと貧困層のエンパワーメント Vol.18

※以下エヴァンゲリオンのネタバレを含むので注意。

先日エヴァンゲリオンのテレビシリーズを全て見切った。今更感満載ですが。
これが放送されていたのが1995年?96年らしい。
20年がたとうとしている今でもとても面白く引き込まれる。
手塚治の漫画のように時代を経て残っていく作品なのだろうと思う。

その最後のシーンで主人公碇シンジが『僕はここにいてもいいんだ』ということに気付く。
もともと彼は自分には価値がない、自分には居場所がないと思って生きていた。
誰にも必要とされていないと感じて生きていた。
しかしある日エヴァンゲリオンのパイロットに選ばれ、必要とされる。
自らの存在価値をエヴァンゲリオンに乗ることと規定する。
つまりエヴァンゲリオンに乗るからこそに自分は必要とされていると思うのだ。
裏を返せばエヴァンゲリオンに乗れなくなってしまえば彼自身は生きる価値を失う。
エヴァンゲリオンに乗って使徒を迎撃するからこそ皆は自分に居場所を与えてくれると感じる。

しかし最後彼は気づくのだ。たとえエヴァンゲリオンに乗らなかったとしても
自分はここにいても良いのだと。無条件の自己肯定だ。
お金を持っているから、良い大学に通っているから、いい仕事をしているから、
家族がいるから、外見が良いから、そういった諸要件を全て抜いたとして
自分が自分を認められるかという無条件の自己肯定を彼は得るのだ。

実はこの感覚は貧困層にとってもとても得難い場合があり、得るべき感覚なのだ。
貧困層は色んな劣等感を持っている場合がある。
例えば教育を受けていない、読み書きが出来ない、親がいない、
お金がなくて満足に食べられない、着飾れない、
そういった経験から自分に対する肯定感が低い場合があるのだ。
そういった彼ら、彼女らにとって必要なのは究極的には無条件の自己肯定感なのだ。
自らの生に対して自信を持ってもらうことなのだ。

教育は大切だ。読み書き計算ができるようになり、様々な知識をつけていくことはとても大切だ。
しかしそれ自体が目的なのではない。それが出来るようになることにより、
本を読み、仕事が出来、お金が稼げ、生活が安定する。
そして最終的には自分の存在を無条件で肯定できるようになるということが
最終的な目的の一つなのではなかろうか。
自分自身への尊厳を持って生きるということが教育の一つのゴールなのではないか。

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この自己肯定には二つの段階がある。

一つは途上国の貧困層が感じるように、
基礎的な教育やライフスキルトレーニングなどの欠如による段階だ。
もう一つは碇シンジのように先進国において、ある程度生活の条件は整っているのに、
自己否定感を感じてしまう段階だ。

前者の場合は教育やライフスキルトレーニングを通してそれを補うことが出来るとする。
では後者が自己肯定感を感じる為にはどうすれば良いのだろうか。

その為には他者からの無条件の承認が必要なのではないか。
例えば親からの無条件の承認、恋愛を通しての無条件の承認、友人からの無条件の承認、
そういった無条件の承認を得られることで自分自身を無条件に肯定できるようになるのだと思う。
碇シンジの場合もそういった承認がないような環境で育ってきていたが、
やがてエヴァンゲリオンに乗る中での人と関わり、承認を得るようになる。

では肉親以外の他者から無条件の承認を得る為にはどうしたら良いのか。
(前提として親等の肉親からは無条件の承認を得られることとする。
逆にそれが得られない場合はそれを変えるのは難しいと考える。)

その為にはまずは自分自身が他者を無条件に承認することだと思う。
人は自分を映す鏡だ。
自分から人に対する関わり方が、人からの自分に対する関わり方になると思う。
自分が人を無条件に承認することによって、人から無条件に承認されることになる。
そして人から無条件に承認されれば、自分自身を無条件に承認出来るようになるのだ。

途上国で人をエンパワーメントする際には具体的な手法や、
心理的励ましといったことが必要になる。
しかし、その前提として無条件にその人を認めてあげることがまずは大事なのだと思う。
この原則を忘れずに、世界中の人と接して行きたい。

かつろう

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