カンボジア人は単語の語尾をあまり発音しない。
口の中でかすかに発音するくらいであまり聞こえない。
例えば『好き』という言葉は
“チョールチャット”なのだが、
“チョールチャッ”と聞こえる。
先日友人とカンボジア人との間で下記のような会話があったらしい。
友人 「好きな映画はなんなの」
カンボジア人 「ディタニ」
友人 「??(あ、ディズニーかな?)へー、ディズニー好きなんだ。
なんお映画が好きなの?」
カ ンボジア人「?。いや、だからティタニだって。
ほら、マイハートウィルゴーオンのやつだよ」
友人 ? ? ? ? ? ?「ああ、タイタニックね。笑」
語尾を発音しないのは英語にも引き継がれているよう。
また文字をそのまま読むこともたまにする。
例えばsocialを“ソショウ”と発音したりする。uが抜け落ちているのだ。
初めは日本語の少々という単語を言っているのかと思っていました。
文字をそのまま読む+語尾を発音しないのコンボで
タイタニック⇒ティタニになったわけです。
現地の言葉を学ぶことがその国の人の英語を
解する手助けになると感じました。
また英語を第一言語にしないもの同士の会話は
お互いが気を遣いあえて良い。
欧米人との会話で理解が出来ないと
それはもう10:0でこちらが悪いが、
第二言語同士だと発音する方も聞く方も違いがあることを
お互い理解している。
意思疎通への努力が同じ目標に向けて
共同作業をしているようで親近感の形成につながる。
異文化の理解もこれと同じではないか。
例えば自らの価値観や文化を100%正しいと思って
押し付けてしまえばそれは相手に対して威圧感や罪悪感や反発を感じさせてしまう。
しかし自分の考えを100%正しいとは思わず、
相手の意見や言葉をしっかりと聞いて、その真意を理解しようと
努めればお互いにとても良い関係を築けるのではないか。
常に自らの考え方や前提に対しても
“本当に正しいのか”と問いかけながら生きて行きたいものです。
(そもそも正しいという感覚がナンセンスなのかもしれませんが)
かつろう
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