大学時代の友人に言われてはっとしたことがある。
『東京にいると成長することを強要される』
?
それを聞いたときに自らの中にある無意識の前提に気づかされた。
常に学んで、成長して、経験を積まないといけない。
そういったことが無意識のうちに刷り込まれているのだ。
途上国の人は決してそんな前提を持っていない。
日々同じことを同じように繰り返して、
彼の子供も、またその子供も同じ仕事をする。
それでも幸せなのだ。
日本にいる時は大学時代の友人といまだに麻雀をよくする。
会話にしろ、麻雀にしろ、何一つ建設的なこと内容はない。
また年に一回正月に地元に戻って
保育園、小学校時代の友人たちと集う。
毎年毎年、ビレッジヴァンガードの福袋を買っている。
だいたいオールで飲んで帰るまでに中身の8割方は
皆にあげたり、鍋で茹でられたりしている。
そういった友人たちとのコミュニケーションが
とても心地よく感じるのは
成長を強要されないからなのかなと思う。
日々、生き急ぐ強迫観念の中で
そのままで、ただ今のままで、笑いあえる関係、空間。
実は建設的な関係や刺激し合える関係よりも
そういう無意味で一見価値がなさそうな関係の方が築くのは難しいのかもしれない。
緊張と弛緩、成長と安楽、疲労と癒し。
途上国においてもそういう関係と場の
バランスを上手くとることが大切なのかと思います。