“道具”としての孤独?引きこもりのススメ? Vol.19

僕はたまに引きこもる。
誰にも会わずに、大して生産的なこともせずに数日引きこもるのだ。

自分自身についての考えを深化させる為だ。

日々仕事であったり、遊びであったり何かすることがあると人は満たされてしまう。
忙しく、何かやることがあると自らの人生に対して迷うということをしなくなる。
自分の人生にとって大して重要でないことであっても、何か“やった気”になってしまうのだ。

精神も安定するし、楽しく充実した日々を感じられるがとてもそういう日々はとても危険だと考える。
現状に対して疑ったり、将来に対して本当に意味のあることを考えたりしなくなるからだ。
そういった日々に流され続けていると気が付かないうちに打つ手がなくなるリスクがある。

そんな時に敢えて引きこもることによってものすごく危機感を感じることが出来るようになる。
自分は本当は何をしたいのか、何をすべきなのか、人生にとって重要なものとは何なのか、
重要な人とは誰なのか、そういったことを落ち着いてゆっくり見つめ直すことが出来るようになる。

『孤独は、知恵の最善の乳母である。』とはドイツの哲学者の言葉だがまさにその通りだと思う。
孤独は思考の原点だと思う。

中学、高校の自分の方が間違いなく物事に対して考えていた。思考を深化させていた。
それはやはりその時の方が孤独が多かったからだと思う。
しかしある時、考え過ぎることは不幸につながると感じ、考えるのを辞めた。思考を捨てた。
それにより豊かになることが出来た。
そのおかげで様々な活動をし、様々な人に出会い、様々な経験を出来た。

人の考え方とは振り子のようなものなのかもしれない。
孤独にどっぷりと浸かった後は、それとは逆の方向に活路を見出した。
しかしまた今揺れ戻っていて孤独を求めるようになっている。

しかし昔は孤独に飲み込まれる感覚があった。
しかし今は孤独と上手く付き合って行ける気がする。

言ってみれば昔は泳ぎ方・息継ぎの仕方をしらなかった。
知らないけれど深くまで潜ってしまい溺れそうで苦しかった。
そして浅いところで泳ぐ練習をし、再度深い所に戻ろうとしている。
今回はしっかり泳げるし、肺活量も上がっている。溺れることもない。

孤独を道具として上手く扱うことが出来れば、
人生を上手くコントロールすることが出来るようになるのではないか。

かつろう

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