“不公平”という感覚はぜいたく品 .36

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●導入

皆さんは仕事を行う時に誰か一人がサボっていたらどう思うだろうか。
部活動の練習で誰かが遅れて入って来たのに急ぎもせずにゆっくりとし、すぐに練習に参加しなかったらどう思うだろうか。

恐らく違和感を覚えるに違いない。給料をもらっているのだからしっかり働くべきだ。特に共同で作業を行っている場合などはその分自らが仕事をしないといけなくなるのでそこに憤りを感じるだろう。

また部活動の例であれば規律が乱れると思ったり、自分がつらい練習をしているのにと不公平感を感じたりするだろう。

●タンザニアでは不公平という感覚はあまりない

タンザニアはザンジバルに来て約2週間になるが、ここではこの憤りや不公平感といったものがあまりないようだ。人々を見ていても、人から話を聞いてもそのようだ。これは単にここザンジバルのみというよりもアフリカに全体的にみられる傾向かもしれない。

例えば仕事を誰かがサボっていてもそれを咎めるでもなく、自らは黙々と仕事を行う。練習に遅れてきてもすぐには参加しないこともあるが、それをとやかく言ったりはしない。出来る人が行えばいいし、個人として練習を出来ればいいのである。

●不公平感が生まれる背景

ではこのような不公平感に関しての感覚の違いはどこから生まれるのであろうか。民族の持つ本能なのであろうか。それとも成長するなかで社会の中で形成される感覚なのだろうか。多分に社会的な感覚値であるので、恐らく成長する過程で後天的に備わる感覚なのだろうと考える。つまり社会の背景やシステムの差がこの公平感の感覚の相違を発生させるのだと思う。

●アフリカと日本の社会的な差

ではタンザニア、ひいてはアフリカと日本ではどのように社会的な差があるのだろうか。それは公平という前提があるかないかだ。

タンザニアにおいてはそもそも公平という前提が少ないのではないか。生まれた時から色々なものについて大きな差がついている。例えば貧富の差であったり、教育の差であったりする。識字が出来ないというようなことも珍しくはない。そのように公平な環境がない中では、そもそも人に公平を求めたりすること自体がおろかなのだろう。それだけ大きな差があっては人も自分と同じように出来るという感覚を持つことは正しくないのだろう。またアフリカでは成功している人が一族全員の面倒を見るということを聞くこともあるが、それも一つにはそのような背景が関係しているのだろう。自分の面倒は自分で見るというよりは、面倒を見ることが出来る人が面倒を見る。(もちろん部族的なつながりの強固さというものも別の背景としてはあるだろうが。)

翻って日本。日本ではアフリカに比べると個人間で環境や制度の差が少ないと言える。もちろん教育における格差や家庭の収入の格差はあるが、アフリカほどではない。少なくとも識字は出来るだろうし、中学は卒業しているはずである。生活保護といった制度もある。そのように背景や環境の差が少ないから他人にも自らと同じものを課して、それを公平として捉えるのだと思う。

●締め

そう考えれば“不公平感”や“公平感”といった感覚を持てること自体とても社会背景として恵まれているのではないか。

何れにせよ、出来る人がやる、やるべく人がやる、人のことをどうこう考えるのではなくて自分自身の事を全うするという姿勢はとても好きな考え方なので、日本においてもこの価値観を忘れずにいたい。

かつろう

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