真の独立にむけて(下)~「白人を追放した独裁者」、ムガベ大統領~ .168

2000年、ジンバブエのムガベ大統領は白人農場主から強制的に土地を取り上げ黒人のジンバブエ人に分配した。ファスト・トラックと呼ばれるその政策が経済の破たんにつながり、歴史上稀に見るハイパーインフレを引き起こした。1980 年から30年以上にわたりジンバブエを独裁しているムガベ大統領は国内の大多数を占める黒人からの支持を維持するためにこの白人追放政策を実施した。

2014年4月に初めて訪ねるまで、ジンバブエについて知っているのはこの程度だった。だから報復措置として欧米諸国から経済制裁を受けたことや英連邦脱退を余儀なくされたことにもうなずけた。

しかし実際にジンバブエに滞在してみて、この事前に頭の中に入った情報と歴史的評価は、自分の目で見、耳で聞くことで大きく突き崩されることになる。

白人農場主からの強制的な土地収用についてジンバブエ第2の都市ブラワヨに住む元NGO職員のジンバブエ人に聞くことが出来た。彼はスイスの大学院で緊急支援についての修士号を取って数か月前にジンバブエに帰ってきたばかりだった。彼も初めはこの農地収用政策について良いイメージを持っていなかったらしい。やはり白人農場主からの強制的な土地の収用には疑問を持っていたという。

しかしスイスで学び色々な情報にふれる中で、歴史的な背景も知るようになる。その結果彼はこの政策に対して、性急的ではありすぎたが、致し方なかったと感じているとのことだ。もともと独立する時にイギリスは土地の補償をすると言っていたのに、それが結局なされず、ジンバブエ側にもそれをするだけの理があったという。

彼の話を元に色々と調べてみると、確かにジンバブエ側が農地の強制収用を行ったのも仕方がなかったと感じ始める自分がいた。19世紀後半からイギリスに植民地支配をされていたジンバブエは1980年にやっと独立を勝ち取ることになる。しかしその植民地支配の影響で当時人口の5%しか占めていなかった白人が肥沃な土地の70%を独占していた。

1979年、その農地問題を含む独立後の憲法を協議したのがロンドンで開かれたランカスターハウス会議。その会議でイギリスは白人から土地を買い上げる費用の補償をするということを口約束した。しかし独立後10年間は白人の所有財産を保護するという条項等があったこと、10年がたった後も白人農場主が土地を手放すことに前向きでなかったこと、イギリスが少額の補償しかしなかったことなどがあり、土地の返還は遅々として進まなかった。そして97年労働党のブレア政権はジンバブエに対して、イギリス政府はジンバブエの農地買い上げの費用を補償の責任を負わないと告げた。ムガベ大統領にしてみれば約20年前の独立に際して約束したことを反故にされたわけだ。そして2000年、一連の歴史の堆積が土地の強制収用に繋がった。

確かに補償なしの強制収用というのは性急的過ぎる政策と言える。しかし、植民地支配で土地を奪われ、独立後も返還されず、その補償も十分になされなかった。独立してから20年間も我慢していた彼らを一方的に悪者に出来るだろうか。

また元NGO職員の彼は鉱山資源についても言及した。白人農場主はとても広大な土地を占有していた。そして彼らは自分たちの土地から出る金などを密かに国外に持ち出して売りさばいていたんだと。ジンバブエは確かに金が出る土地が各地にある。真偽のほどは定かではないが、少なくともそう思わせるほどにジンバブエの人々の不満が白人農場湯に対して向かっていたのは確かだと言える。国民感情的にもこれ以上、土地の返還を待ち続けるというのは難しかったのかもしれない。

さらに白人農地の強制収用政策がジンバブエの農業に与えた影響も調べてみた。この政策は農業に大きな打撃を与えた。白人経営の大規模で効率的な農業から小規模零細な農業に構造が変化したことが要因と言われる。しかし果たしてこの政策は悪いことしか引き起こさなかったのだろうか。

良かったこともあった。第一に考えられるのが農民1人1人の生活の向上だ。以前は小作農として白人農場主の元で働かされていたジンバブエ人たちが自作農となり、生産性は落ちたにせよ1人1人の生活は良くなった。たばこ農家の数は2000年の前は2000世帯だったのが、現在では60000世帯に増加している。2000年前の2000世帯はほとんどが白人だったのが、現在ではジンバブエ人たちが自分たちの小規模な農場を有している。収入も平均すると年間で60万円ほどになる。

生産性も回復の兆しを見せている。2000年に2億3677万キログラム(5億2200万ポンド)でピークだった生産量が2008年には4762万キログラム(1億500万ポンド)にまで下がった。しかし2014年には1億4968万キログラム(3億3000万ポンド)に持ち直している。土地を分配された当時は農業経営に素人だったジンバブエ人の農家が試行錯誤をしながらも生産量を挙げてきているのだ。

日本の戦後の農地改革も農民の生活の向上に繋がったという評価はあり、それと同じように評価することも出来るのではないだろうか。

農業だけでなく経済全体にも目を向けてみたい。IMF(国際通貨基金)の統計によると実質GDP(国内総生産)の成長率は2001年以降マイナス成長だったが、2009年以降は8.1%、11.3%、10.5%とプラスに転じている。額でみると2000年に約1兆4642億円でピークだったのが2008年には約7540億円まで落ち込んだが、2011年には約1兆167億円まで回復している。このままの調子でいけば2019年には1兆4875億円を記録し、2000年のピークを超える見通し。ちなみに名目GDPでは2000年の約9826億円は2011年の1兆956億円によって早くも越えられている。2009年に国内の正式な通貨をジンバブエドルから米ドルにする「ドラリゼーション」によって一気に経済は安定し、プラスに反転したと言える。

日本は明治維新や戦後の復興等世界史的に見ても著しい発展を遂げた経験を持つ。その根底にあったのは基礎教育の普及、つまり高い識字率だったのではないだろうか。サブサハラアフリカでずば抜けた識字率を持つジンバブエも今後、同じように著しい発展をしてもおかしくないと感じるのは私だけだろうか。

2000年を境にジンバブエ経済は一気に傾いた。同規模のGDPを回復するまでに約20年かかる見通しだ。果たしてこの20年は失われた20年と呼ばれるのだろうか。私はそうは思わない。本当の意味で植民地支配から独立し、自分の足で歩くための必要な助走期間だったと呼ばれるのではないだろうか。

果たしてムガベ大統領は「白人を追放した独裁者」と後世で呼ばれるのだろうか。ジンバブエという国家を名実共に独立に導いた指導者としてその名を歴史に刻むのではなかろうか。

 

※この記事は以前開発メディアganasに寄稿した記事です。同メディアの新サイトの移行に伴い保存目的で本ブログに転載しました。

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