日々是幕末 .143

幕末を表す空模様
僕は司馬遼太郎の歴史小説が大好きだ。司馬遼太郎や塩野七生を原文で読めるというだけで日本人に生まれてよかったと感じるくらいだ。

司馬遼太郎の小説は幕末を舞台にしたものが多い。坂本竜馬、高杉晋作、大久保利通、西郷隆盛、岩倉具視、そういった教科書に出てくるような偉人たちが志を胸に、躍動して日本という国を回天させる。とても面白い。

彼の小説が面白いのはその幕末という舞台装置にあるとも言える。幕末は日本が激動の真っただ中なのだ。徳川幕府が終わり、天皇家の価値が問われ、明治政府が台頭してくる。まさに日本の政体が短期間に大変革する時代が幕末なのだ。

幕末に憧れることがよくある。幕末に生まれていれば、脱藩して、日本のために奔走してといったような自分を思い描くことがある。幕末に生まれたかったとか、そう思ってしまうこともある。逆に平成の世をどこか物足りなく感じていたりする。

しかしこのような考え方は単なる幻想でしかない。無いものねだり、隣の芝は青い、とかそういった類のものだ。幕末も激動の時代ではあった。しかし、多くの人は日々の生活を普通に営んでいたのだ。農家は作物を作り、漁師は魚をとりといった普通の生活をほとんどの人は送っていたはずだ。日本中を駆け巡っていたのはほんの一部の人間にしか過ぎないのだと思う。

そういった前提に立って現代を観れば、現代も「幕末」ではないかと思う。大激動の時代。幕末の日本では藩が独立した国家的として機能していたといえる。言葉も文化も藩境をベースにして現代も分かれている。そしてその藩という国家どうしがやがて連なって、合同していって日本というさらに上位の、大きな国家を形成したように思う。つまるところ、昔でいう藩とは現代で言う国家のレベルで、「日本」という国の形成はそれこそ、地球規模での連合的な政体を指すことも可能なのではなかろうか。昔は日本国内の移動も相当な日数がかかった。連絡を取るのも手紙で、東京大阪間でも「定六」ということばがある通り、1週間近くはかかったはずだ。逆に現代では日本から地球の裏側に行くのも2日あれば行ける。連絡はインターネットを使えば即座だ。そう考えれば昔の日本よりも現代の地球の方が距離は近いと言える。

そう考えれば日本という国自体はしばらくの太平に近い世と言えるかもしれないが、世界全体をみたとしたらどうだろうか。まさに激動の時代だと言える。紛争、戦争、宗教、貧困、病気、世界中で大変革が起こり続けていると言える。ただ激動の規模が藩と日本国から日本国と世界というように変わって来ているだけであって、本質的に地球上で激動が渦巻いているという状況は変わらないのではないかと思う。

逆にもしも、この現代を太平と感じて、幕末を憧れるようであれば、それは何もせず日々の営みの中にあった幕末の一農民としての位置づけと同じかもしれない。時代を明敏に感じる感受性が必要なのかもしれない。

いずれ後世の人に「21世紀は激動の時代だったからあのころに生まれていたらエキサイティングな人生を送れていたのに」と思われる日が来るかもしれない。

この21世紀、世界は未だ幕末のころから変わらない激動の時代なのだ、という意識を持ち続け、日々精進し続けよう。

日々是幕末。

かつろう

 

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