苦労して身に着けたものの価値?第二言語習得論の観点から? .46

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現在、白井恭弘著『外国語学習の科学』?第二言語習得論とは何か?という本を読んでいます。この本は第二言語習得、Second Language Acquisition=SLA、について初心者にもわかり易く解説しています。英語を勉強中の身として、いったいどういった研究がなされていて理論が構築されているのかを知りたくて読み始めました。

その中で興味深い部分があったのでご紹介致します。
結論から申し上げますと、距離の遠い言語を会得した人は、距離の近い言語を会得した人よりも認知能力が高くなるということです。どういうことか下記説明します。

まず第一にバイリンガルの子どもはモノリンガルの子どもに比べて認知能力が高いということがあるとのことです。サイモン課題というものが認知能力を測る際によく用いられるらしいです。コンピュータの画面に青い四角がでたら右側のキーを、赤い四角がでたら左側のキーを押すというルールを設定します。ところが、四角が画面の右側や左側に出るので、押し間違えが起こったり、押すのが遅くなったりといったことが起こるらしいのです。この正答率や回答速度を測るのがサイモン課題というものです。

そしてバイリンガルでも認知能力に差がみられると本では述べられています。
前提として言語には距離があります。例えばスペイン語とポルトガル語、日本語と韓国語の距離は近いと言えますが、日本語と英語の距離は遠いと言えます。つまり言語の距離とは文法や発音、単語などがどれだけ似ているかということです。この距離が近いほど、第二言語習得を簡単に行うことが出来ます。

研究結果として距離の遠いバイリンガルの方が、距離の近いバイリンガルに比べて認知能力が高いということが報告されているとのことです。距離の遠い言語の方が習得時に認知的負荷がかかる為、情報処理能力が高まるのではないかという仮説が述べられています。

僕は昔から日本語を持って生まれたことは英語を母語とする人に比べてハンディキャップなのではないかと思うことが多かったです。しかしこの認知能力のことを知り、必ずしもハンディキャップではないと感じました。

頑張って何かを身につければ、その身に着けたものだけではなくて、それを身に着ける過程で他の様々なものを得ることが出来る。その苦労が大きいほど、過程で得るものも大きい。

世の中は本当によく出来ているなと思います。

かつろう

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世界の青年海外協力隊?各国の国際協力ボランティアの比較? .45

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青年海外協力隊という存在をご存知の方も多いのではないでしょうか。
日本のJICAが途上国にボランティアを派遣する事業です。

今回は各国の国際協力ボランティアを調べてみました。

データはリンク先から適宜拾ったものなので数字の正確性はあまり高くありません。
ですので参考程度に見て頂ければと思います。

【日本】

●青年海外協力隊(JOCV=Japan Overseas Cooperation Volunteers)
設立年        :1965年
累積派遣国     :88か国
現在派遣国     :72か国
派遣期間      :2年間
累積派遣人数   :37928人
現在派遣人数   :1677人
平均年齢      :26?28歳?
http://www.jica.go.jp/volunteer/application/seinen/

【アメリカ】

●Peace corps
設立年月日     :1961年3月1日
累積ボランティア数 :21万人以上
累積派遣国数    :139か国
現在派遣国数    :76か国
派遣期間       :27か月
現在の派遣人数  ? :8073人
男女比率  ? ? ? ? ? ?:男性38%、女性62%
既婚比率       :独身93% 既婚7%
平均年齢  ? ? ? ? ? ?:28歳
http://www.peacecorps.gov/

【イギリス】

●VSO(Volunteer Service Overseas)
設立年     :1958年
累積派遣人数 :5万人以上
累積派遣国数 :140か国以上
現在派遣国数 :34か国
http://www.vso.org.uk/


【ドイツ】

●DED(German Developing Service)
※現在はGIZという組織になっている模様。
設立年        :1963年-2010年
累積ボランティア数 :16000人
現在派遣人数    :970人
現在派遣国数    :47か国
https://en.wikipedia.org/wiki/Deutscher_Entwicklungsdienst
http://blog.world-citizenship.org/wp-archive/6000

【フランス】

●AFVP(Association française des volontaires du progrès)
設立年     :1963年
平均       :26歳
期間 ? ? ? ? ? ? ?:24か月
現在派遣国数 :40か国
現在派遣人数 :350人
http://www.france-volontaires.org/
http://fr.wikipedia.org/wiki/Association_fran%C3%A7aise_des_volontaires_du_progr%C3%A8s

【カナダ】

●CUSO
設立年     :1961年
現在派遣国  :40か国以上
累積派遣人数 :45000人以上
期間       :6ヶ月-24か月まで案件により様々
http://en.wikipedia.org/wiki/Cuso_International
http://www.cusointernational.org/

【韓国】

●KOV
設立年    :1990年
派遣人数   :毎年1000人
現在派遣数 :1538人
派遣国    :43か国
期間      :24か月
http://english.chosun.com/site/data/html_dir/2010/03/22/2010032200764.html

【シンガポール】

●SIF
設立年     :1991年
累積派遣人数 :2000人
http://www.sif.org.sg/home

【国連】

●UNV(国連ボランティア)
設立年    :1971年
平均年齢   :37歳
累積派遣数 :50000人以上
http://en.wikipedia.org/wiki/United_Nations_Volunteers

かつろう

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アフリカの奇跡 ~ルワンダの経済成長要因の考察? .44

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皆さんはアフリカの奇跡という言葉をご存知だろうか。ルワンダでの経済成長を指して使われる言葉だ。

ご存知の方も多いかと思うが、1994年、ルワンダではフツ族によるツチ族への虐殺が行われた。当時の国民が約730万人で、その内80万人とも100万人とも言われる人数がたった100日間の内に虐殺されたのだ。国民の10人に1人以上が殺戮された計算になる。毎日1万人が銃やナタで殺されたのだ。想像を絶する数だ。戦争や侵略でなく、同国家内で起こったというところがとても痛ましい。隣人が隣人を犯し、殺し、隣人を殺すことを拒否すれば自分自身が殺される。家族で殺し合いを行わせ、最後は結局皆殺しにする。

今回は政府の罪やジェノサイドの起こった原因、国連のあり方などには言及しない。ルワンダに訪れた経験から、その虐殺後にアフリカの奇跡と形容される同国の発展の一要因を考えてみたい。

動乱を逃れて国外に退去していたツチ族による投資等が大きな一要因と言われている。それとは別に今回旅をしてみて感じたことは政府による管理の厳しさだ。その管理の厳しさが同国を安定せしめ経済成長を持続させている大きな要因ではないかと感じた。

具体的に例を三つ挙げたい。

一つ目は入国時の荷物検査についてだ。今回は陸路でウガンダからルワンダに入国したのだが、その際に持ち物を検査され、ビニール袋を全て取り上げられたのだ。バックパッカーにとっては日本のしっかりとしたビニール袋はかなり貴重だ。それを目の前でビリビリと破られ捨てられたのだ。幸い奥に入れていた袋は難を免れ全滅は免れたが、電子機器を全てひっくり返され適当に鞄にぶちまけられたのには少し参った。環境に対する配慮でこの施策を行っているらしい。確かにそう聞けば合理的であるとも取れる。持ち込みした後で極力捨てないようにと呼びかけたりしても効果は薄いと思われる。であればいっそ持ち込ませないという方が効果的だ。

二つ目はバイクタクシーについてだ。首都キガリではたくさんのバイクタクシーがある。このバイクタクシー自体はカンボジアなり多くの地域で見ることが出来る。しかし他の地域と違うところは後ろに乗る客もフルフェイスのヘルメットを着用しないといけないことだ。しかもこの着用をしっかりと運転手が行ってくるのだ。カンボジアなどでは運転手自体もつけているか怪しい。時には警察の検問の前だけ被るというようなこともある。しかしルワンダでは運転手も客も皆きっちりとヘルメットを着用しているのだ。

三つ目は“ムガンダ”についてだ。ある朝バスターミナルに行ってみると全く機能していない。全てが止まっている。バスターミナルだけでなくて街中が全てストップしているのだ。あれだけいたバイクタクシーが全く見えない。辻々には制服を着た警察官が立っており何やら人々を見張っているようでもある。その警察官や周りの人に聞いてみると、その日は月に一度のコミュニティワークなのだという。それをさしてムガンダというらしい。例えば地域の清掃を行ったり、ボランティアを行ったりする日らしい。結局全ての仕事が午前中はストップしており、午後になるとゆっくりと再開していった。このような強制的な管理をきっちりと行っているということからは少し怖さも感じた。全ての人を強制的にコントロールするということに違和感を感じたのだと思う。

このような政府による徹底した管理体制というものがアフリカの奇跡を生み出しているのではないか。国民の10%以上を虐殺で失うというところから国を建てなおす為にはある程度の管理やコントロールも必要なのだろうと感じた。

やがて国の傷も癒えてきたならば、ルワンダに広がるなだらかな丘のように、緩やかな政府になれば旅行者も国民もより安心して生きてゆけるようになるのではないかなと思う。

かつろう

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ケニア・キベラスラムレポート .43

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皆さんはスラムと聞いてどのような印象を受けるでしょうか。
お金がない貧乏な人たちが集まっている所、仕事がない人たちがいるところ、僕はそんなイメージを持っていました。

もちろんスラムは都市に比べると生活水準が低い人が暮らしているのは間違いありません。しかし単に貧乏な人たちが住む街というだけの認識では足りない部分が多くあります。そんなスラムの現状をお伝え出来ればと思います。
今回はケニアの首都ナイロビにあるキベラスラムに行ってきました。

ケニアと言えばサファリが有名ですが、少し値が張り、また遊学という観点からもあまり気が進みませんでした。

スラムを見学したいなと思いながら街をプラプラ歩いていると声をかけてくる客引きがいました。そう、サファリ・ツアーへの客引きです。後で聞いたことですが、一人をサファリ・ツアーへ勧誘できると4000ケニア・シリング(100円=約85ケニア・シリング)を得ることが出来るらしいのです。5人の団体を紹介出来れば20000ケニア・シリングが入るというわけです。

サファリに行くつもりはなかったので、キベラスラムはどうかと聞いてみました。キベラと聞いた瞬間彼は大きな笑顔を作りました。実は彼、ジャレッドはキベラスラムの出身だったのです。ちなみに今はマジャンゴ・スラムというところに近くに引っ越しているらしいです。

ガイド料は1500ケニア・シリングで折り合いをつけ、そのままの足でマタトゥという乗り合いバスでキベラスラムに向かうことになりました。ちなみにこの1500ケニア・シリングは全て彼の懐に入ります。

まずスラムの入り口付近にあるHIVポジティブの人をエンパワーメントしている人の所に案内してもらいました。彼女は小売店を営んでおり、HIVポジティブの人が作ったアクセサリーの販売等をしていました。

キベラスラムの人口は80~100万人と言われています。アフリカで2番目に大きなスラムらしいです。ちなみに一番大きなスラムは南アフリカのヨハネスブルグにあるソウェトというスラムです。例えば僕の出身県、滋賀の人口は139万人で、鳥取の人口は58万人です。そう考えると如何に多くの人が住んでいるかがわかります。スラムドック・ミリオネアの舞台になったインドのムンバイにあるダラヴィというスラムも100万人の人が住んでいると言われています。ダラヴィもそうでしたがこのキベラスラムの中にも学校が4つあります。100万人が住み、学校があり、教会があります。スラムは巨大な都市としての様相も持っているのです。

この100万人の内、約20%の人がHIVポジティブだという統計があると教えてくれました。スラムでのこの問題の根は深そうだなと感じました。

次に案内してくれたのは町工場でした。お土産物を作る工場です。モーターで回転する切削機等を使用してアクセサリーを形作り、それに色を付けたり紐を通したりします。10人程度の小規模なものでしたが、しっかりとした電動の機械類で仕事をしていました。

スラムは安価な労働力を獲得できる工場という側面も持っています。例えばムンバイのダラヴィスラムにも多種多様な工場があり、周辺の地域の農民は農閑期にこのダラヴィスラムに出稼ぎに来たりしています。スラムには工場があり、工場があり、人が仕事をしに来たりするのです。

スラムの家々は土壁で作られたものもありますが、大部分は茶色い等のトタンを組あげて作られています。天井も、壁もとたんで覆っています。このキベラスラムの家賃は月に1500ケニア・シリングほどらしいです。皆ただで住んでいるわけではなく家賃を払ったりしているのです。ただし、電気や水道はありません。水は10リットルくらいの1タンク10ケニア・シリングで購入します。

少し歩き、音楽が大音量でガンガンかかっている家の角を折れ、ジャレッドは小路に入っていきました。少し休憩をするというのです。彼はそこでマリファナを買い、吸い出しました。都市部ではセキュリティの関係などが色々面倒で価格も高いが、スラムでは安くて、自由だと彼は言います。周りの人からの視線が少し痛かったです。観光客を連れてきていいのかということを話しているようですがジャレッドが顔役的な部分を持っていて何事も起こりませんでした。

そして次はキベラのビールを飲みに行こうと地元の人たちがたむろする飲み屋に連れて行ってくれました。そこでは砂糖とトウモロコシとウィンビ(これはスワヒリ語で結局何かわからなかった)というものでこの飲み屋で作ったジャンガというお酒を出してくれました。スピリッツのような透明で度数がとても高い酒でした。ジャレッドはアルコール類を全てビールと呼ぶようです。そこにいた10数人全員にお酒をふるまうことに。彼の顔もあるのでこれは断れなかったです。800ケニア・シリングの出費でした。

キベラスラムの中にはこのようにお酒の製造以外にも様々な仕事がありました。木を切ってくる人、その木から木炭を作る人、その木炭で火をお越しポテトフライ等を作って売る人。面白かったのが映画館です。小屋の中にテレビを置いて、そこで映画を放映しているのです。一本20ケニア・シリングでした。他には携帯電話の充電屋などもありました。

スラムは実際、ゴミが山積みされていたり、マリファナがあったり、という負の部分も確かに多いです。貧困がそこここに漂っています。しかし単に一つの側面でしかありません。学校があり、教会があり、仕事があり、人々の生活がそこにはあるのです。
“ハーワーユー”と笑顔で声をかけてくれる子どもたちがいます。

ビジネスを行うにせよ、国際協力を行うにせよ、彼らスラムの人々が重要な一つのプレーヤーになる可能性は大いにあるはずです。例えばナイロビの人口400万人の内の100万人がキベラスラムに住んでいるのです。他のスラムに住んでいる人の数も考えればこのスラムの人口はとても無視できる数字ではないのです。
そして格差が今後広がっていくことを考えれば、やがて日本にもスラムが出来てくるかもしれません。

以上簡単なキベラスラムリポートでした。
是非海外に出られる際はその国のスラムに訪れることをおススメします。単なる観光地では見れない人々の生活を垣間見ることが出来ます。ただし一人で入っていくのはとてもリスクが高いのでツアーに参加するか、ガイドを雇うか必ずしてください。

●参考:http://www.realitytoursandtravel.com/tours/slum-tours/ ムンバイのダラヴィではこのスラムツアーに参加しました。NGOが運営しており、とても素晴らしいツアーでした。インドで受けた中で最もよかったサービスでした。)

スラムの風景

HIVサポートを行っている所

町工場

飲み屋

キベラのお酒ジャンガ

携帯充電屋さん

世界一安い?映画館

かつろう

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ウガンダの世界遺産Kasubi Tombsの収支とガイドの収入 .42


首都カンパラにあるウガンダの唯一の文化世界遺産、Kasubi Tombsに行ってきた。ウガンダはいくつかの王国からなり、その最も大きな王国がブガンダ王国で、その歴代の王様のお墓があるのがここだ。

ガイドをしてくれたのはこの写真の右側に移っている彼。
写真を撮り忘れて彼が移っている写真はこれしかないのでご容赦。

実はこのカスビ・タンブ、2010年にテロリストの攻撃にあい王の墓が全焼し、今現在ユネスコの協力によって再建作業が行われている途中なのだ。メインの墓がなかったのは少しさみしかった。

●ガイドの収入

さて彼の収入を聞いてみた。固定給の月収は250$。

彼はウガンダで2番目にいい大学であるKyambogo Universityのツーリズム専攻を出て、ここに勤めている。ちなみにカンパラで一番いい大学はマケレレ大学なのだが、彼曰くマケレレ大学は理論に偏り過ぎているとのこと。
Kyambogo Universityは理論と実践のどちらもバランスよく行うので実際の就職には強いらしい。確かに彼の英語の説明はとてもわかり易く聡明さが感じられた。おじいさんは日本のウガンダ大使館で働いていたこともあるという。良家の育ちと聞いてなるほどと思った。

そしてこの世界遺産の中で売られている、樹の樹皮の上に書いたペイントは彼が書いたものもあるという。そして自分が書いたものが売れた場合は自分の手取りになるとのこと。大きさによって違うが1枚2?5万ウガンダシリングくらい。(1$=約2600ウガンダ・シリング)
その副収入を合わせると$300?400くらいの月収になるのだろう。

●観光収入

観光客は入場料として2万ウガンダ・シリング(約800円)を支払う。芳名帳をめくってみたが、一日で多くてもせいぜい10人くらい、少ないと3人という日もあるくらいだった。あまり観光客が訪れるわけでもないみたいだ。団体客も来る可能性があることを考えると日平均7?8人くらいだろうか。

7.5人×2万ウガンダ・シリング×30日=450万ウガンダ・シリング。
これを$1=2600ウガンダ・シリングで考えると月に約$1730の収入になる。

もちろん彼のようなガイドが複数人いるわけで例えば4人いただけでも$1000になる。そして受付を担当している人もいたりするので人件費だけでも下手をするとトントンか赤字になる。そしてさらに各種維持費も掛かるわけだ。

もちろん文化的な価値を鑑みての赤字経営はあり得る。多くの人にウガンダの文化を知ってもらうという意味を大きいと思う。しかしそこに税金や助成金を多く投入することには少しの違和感を覚える。黒字で経営出来ればなお良いのではないか。

入場料を今の倍の4万シリング、約$15にしたとしても収益は増えるように思われる。他にカンパラの街に目立った観光スポットもないのだからこのくらいは出せるはずだ。そうすれば収支のバランスも良くなるだろう。

●王家の墓と農作物

ちなみにこれが王の親類の墓。王は屋根つきの建物内に安置されるが、その家族はこのように野外に埋葬される。

そしてその奥に見えるのが周囲の人が育てている農作物である。そう、王の墓の敷地内で周辺住民が農作業を行っているのである。ウガンダの王室の事は全くしらないが、これは王室と市民の距離の近さを表しているのかなと思った。

襲撃にあったりもしてはいるがやはり長きにわたって王室が保たれているというのはそれなりの理由があるのだろうなと感じた。

かつろう

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タンザニア・ザンジバルのお土産物屋さんの収入とからゆきさんのジャパニーズバー .41

今回はタンザニアはザンジバルでお土産物屋さんを運営する
マサイ族出身のこの方にご登場いただきます。
とてもフレンドリー。

さておき、

Q、月の収入は幾らですか?
A、調子が良ければ60万タンザニアシリングくらい行くこともある。
(1$=1640タンザニア・シリングで計算すると約$365)

Q、このお店の家賃はいくら?
A、15万タンザニア・シリング

Q、今住んでいるところの家賃は?
A、10万タンザニア・シリング

Q、食べ物等、他の生活はいくらくらい?
A、15万タンザニア・シリング

つまり60万タンザニア・シリングの売り上げを上げることが出来れば
20万タンザニア・シリングを貯金することが出来るというわけだ。

Q、結婚はしないの?
A、マサイでは結婚するときに家畜など、たくさんの贈り物をしないといけないから今頑張って貯金をしてる所。

ところで俺のショップはタンザニアで一番いい店なんだ。いや、アフリカで一番なんだ。
ベストオブベストなんだ。だから何か買って行ってよ!

単なる営業トークではなく、心の底からそう信じて行っているのでとても気持ちが良かったので、ついついお土産を買ってしまった。店内には彼自信が作ったアクセサリーやティンガ・ティンガ・アートなどがたくさん並べられている。

自分の仕事をアフリカ一と自信を持って言えるのはとてもすばらしいと感じた。そういう誇りを持った仕事を行えることは本当に幸せなのだろう。

●●●

ところで彼が営んでいるショップが入っている建物は実は約五十年前くらいまでからゆきさん(http://hitonowa.blogspot.com/2013/05/vol28.html)が営むジャパニーズバーがあったらしいのだ。娼館としても機能していたらしい。

今は普通にこのようなお土産物屋が入っていたり人が住んでいたりしている。その当時で10人以上のからゆきさんがいたという。日本人にとっては全く前人未踏の地に来て心細かったに違いない。

人身売買の被害に会い、自らの意志で来たのでない人もいたはずだ。
失意の中この地に果てた人もいただろう。

みながみな、自分の仕事に誇りを持って生きて行けるような世界が来ることを切に願う。

かつろう

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タンザニア・ザンジバルの漁師の生活 その2 ?マンガポアンニ紀行と漁師の収入? .40

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さて今回は船員の一人にフォーカスを絞ってタンザニアはザンジバルの漁師さんの生活をご紹介したいと思います。
(前回の記事⇒Vol.39 タンザニア・ザンジバル漁師の生活)

●マンガポアンニ紀行

登場して頂くのはアヴァス。31歳独身。船で一番に絡んできてくれた気さくな海の男。

彼は現在はマリンディ港近くのザンジバルタウンにお母さんたちと住んでいるとのこと。

実家はザンジバルタウンからダラダラという乗り合いバスで4?50分ほどの所にあるマンガポアンニという所で、訪問をさせて頂くことに。

ちなみにダラダラには2種類あります。街の中を走るダラダラと郊外まで長距離を走るダラダラです。街中を走るダラダラは一回300タンザニア・シリングで、長距離を走るダラダラは距離によります。ザンジバルタウンからマンガポアンニであれば1300タンザニア・シリングになります。(1$=約1640タンザニア・シリング)

【ダラダラ。このバスに30人以上がぎゅうぎゅうで乗る。】

沿岸を北に1時間弱移動し、ダラダラを降りて5分ほど歩くと実家に到着。

【アヴァスの実家】

近くにはおじさんの家もありました。

【おじさんの家】

マンガポアンニはザンジバル島が奴隷貿易の拠点のなった際に奴隷を閉じ込めておいた洞窟やチェンバーがあります。他にも第二次世界大戦でイギリス軍がドイツ軍に対抗する為に築いた沿岸の軍事施設等を見ることも出来ます。

【奴隷が収容されていた洞窟】

色々見て回った後は飲み屋へ。しょんべん横丁よろしくのふきっさらしです。ここでビールを頂きました。ちなみにザンジバルはイスラム教徒が95%を締める地域。アヴァスもイスラム教なのですが酒は飲みます。結構お酒飲む人多いです。

【飲み屋 in マンガポアンニ】

このまま農村で彼の家に泊めてもらうことも出来たのですが、風邪で体調がすこぶるよろしくなかったのでこの日はおとなしくザンジバルタウンに帰ることに。残念。

●漁師の収入

さて、では彼の収入は幾らぐらいなのでしょうか。もちろん漁獲量によって実入りも変わります。漁に一緒に行かせてもらった時に見ているとあまり取れなかった時には10000タンザニア・シリングくらい、大目に取れれば数万タンザニア・シリングをもらっているようでした。もちろん全く取れない日もあります。一日の稼ぎを平均して20000タンザニア・シリングと仮定します。

そして一か月の内、一週間は漁が休みになります。そして漁期も週に1日くらいは休みをとるとすると、30日?7日(量が休みの期間)?3日(週に一回の休み×3)と考えれば稼働日は20日となります。

20000タンザニア・シリング×20日で400000タンザニア・シリングが月の収入になります。1$=1640タンザニア・シリングで計算すると243.9$となります。調子がとてもいい時は1000$近くの収入になる月もあるらしいです。

●魚の価格

ちなみに魚の値段ですが例えばある日の船上で販売されるアジのバケツ一杯(150?200匹くらいかと思われる)は40000タンザニア・シリングでした。一匹に換算すると約200?250シリング。

その日の市場でアジは5匹で2000シリングで販売されていました。一匹あたり400シリングになります。

そしてアジのから揚げが屋台では一匹700?1000シリングで販売されています。

基本的には小売り価格は日によってあまり変動が内容でした。しかし船上で取引されるアジの価格はもし漁獲高が多い日であればバケツ一杯で10000タンザニア・シリングにしかならないこともあるようです。取引の上流に近づく方が収入が不安定になるのかもしれません。

●自助グループの共同貯蓄制度

途上国で住民がグループを作ってお金をすこしずつ出し合い、それを貯めて誰かが借りられるという制度を行っているという話を聞きます。誰かが起業をしたりする時や傷病で急にお金が必要になったに時にその中から借りたり出来る仕組みです。

例えば女性蔑視が残っている地域での女性の自助グループ等、そのような自助グループは社会的な弱者が形成したりすることが多いようですが、それだけでなく収益の安定性が少ない職業においても利するところが多い制度のように思われます。

かつろう

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タンザニア・ザンジバルの漁師の生活 .39

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今回はタンザニアはザンジバルの漁師さんの生活をご紹介致します。
数回船に乗せて頂き、一緒に網を引かせて頂きました。

漁師さんの仕事の始まりは夕方の16時~18時頃。ザンジバルタウンにあるマリンディ漁港から船を出港させます。漁場をどこにするかはその日ごとにキャプテンが判断します。1~2時間くらいの場所に行くこともあれば、遠い所に行くこともあります。遠くに出て、翌日もその辺りを漁場とする場合はマリンディ漁港には戻らず、マンガポアンニ等近くの浜に寄港します。

そして漁場に着いたら碇を下し、陽が落ちるのを待ちます。どっぷりと暗くなったらいよいよ漁を始めます。まず小舟を海に下します。そして小舟に一人乗った漁師さんは魚群が寄ってくるのを待ちます。真っ暗な中で明かりをともしているので魚が寄ってくるのです。直接、海の底を見たり、魚が立てる気泡等を頼りとしたりして、魚群が下にいるかどうかを判断します。

魚群がいるとなったらいよいよ巾着漁という手法で網を打ちます。小舟を中心にして円を描くように網を下して行きます。網の上部には浮きがついており、下部には重しがついています。円を描くように打つとちょうど円柱状に網が垂れるような形になります。そしてその後、皆で綱を引くことで円柱の下部の部分を締めていきます。ちなみに綱や網を引くときの掛け声はモジャ、ビリー、タトゥーというスワヒリ語で、つまり、いち・にの・さんと言います。この辺りの掛け声は万国共通なのだなと感じました。

そして綱を引き、下部を締め、魚群が下から逃げられないようにしたら、いよいよ網を引きあげます。網をほとんど引き上げた後、残った空間にいる魚群を、別の大きな柄のついた網ですくい上げ、船内のボックスに入れます。このような網打ちを一晩のうちに1~数回行います。

暗くなるまでの時間や魚群を探っている間等の空き時間で睡眠を取ったり、手釣りをしたりします。手釣りとは直接ラインを垂らして釣ることです。竿などは全く用いずに、重りと餌を付けたラインを直接手で引きます。取りたい魚によって餌を下す深さや、ラインの太さなどを変えます。食付いた震えを感じた瞬間に内側に水平にラインを引くことでしっかりと針を食い込ませます。この手釣り、なかなか難しく熟練の漁師さんはバカバカと釣り上げていましたが、私は結局一匹も釣れませんでした。ちなみにこの手釣りで得た魚は本人の取り分になります。

そして日が明けてくると港に戻ります。朝8時~10時くらいの間に戻ります。そして船上が戦場に変わります。船の上で、その場で卸売りが始まるのです。船が港につくやいなや一斉に仲買人が乗り込んできます。他の船から移ってくる人や泳いで渡ってくる人がおり一気に船は満員になります。そして持参したバケツに魚を入れ、その場で買い付けます。価格はその日の他の船との兼ね合い、つまり港全体の漁獲量によって変動します。日によって数倍の値段の開きが起こります。俺に売ってくれ、価格は幾らだ、といったやりとりが為され、仲買人同士が言い争いをしたり、お金はないが魚をもらいに来た人がいたりと船上は喧騒に包まれます。

全て売り切ると、その場で売り上げが計算されます。そしてガソリンなどの必要経費や船主の取り分を引いた金額を船員に分配します。つまりその日の漁獲量によって収入が左右されるのです。全く取れない日は収入がゼロになります。そして朝10時くらいに陸にあがり、またその日の16時に港に来るという生活です。

一か月の内、月の12夜前後から一週間ほどは船を出さない期間になります。月明かりが強いと船上の明かりでは魚が寄ってこない為と思われます。その一週間の間に船やエンジン、発電機等の修繕を行います。この間に休養も取ります。

なかなかハードな仕事ですが、漁師さんたちは皆陽気でやさしく、力持ちで、そして誇り高かったです。日々当たり前に食している魚。漁師さんたちがおり、仲買人がおり、小売り・調理する人がいて、やっと食べることが出来る魚。当たり前の中には多くの人の日々の積み重ねが入っているのだということを身を持って勉強できました。

マリンディ港の様子

                          いざ出港!
                           手釣り
                           小舟と網
                           さかな!!!
寄港後の魚の即売
                                                   おしまい

旅行者の為のザンジバル(タンザニア)情報 .38

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基本的にタンザニアのザンジバルのストーンタウンなどがある島の中心地のザンジバルタウンに関しての2013年6月現在の情報です。

●ネット事情

ザンジバルではZANTEL(ザンテル)という携帯電話やネットの通信会社があります。そこのオフィスに行って20000タンザニア・シリングのモデム(PCのUSBソケットに差し込む小型のもの)を購入し、さらに通信料を支払えば通信出来ます。通信料は例えば一か月1.75GBで15000タンザニア・シリング等。日毎のものもあります。これがザンジバル島全域をどこまでカバーしているかどうかは不明ですが、少なくともストーンタウンなどがある中心地は速度、接続共にまったく問題ありません。(1$=約1600タンザニア・シリング)

またwi-fiは観光客向けのカフェ等には入っている所もあります。ちなみにOld FortやHouse Wondersの前にある公園付近には無料での公衆ワイファイが飛んでいます。

●写真の現像

写真のデジタルデータをプリントアウトしてくれるところがあります。ストーンタウンの前のマーケットやダラダラ(乗り合いバス)スタンドの近くにあり、その辺りで、KAIZAR PHOTO(カイザル フォト)と聞けば2人に1人くらいは知っています。プリントは1枚200タンザニア・シリングです。枚数が少なければ2時間くらいで仕上げてくれます。ちなみにこの写真の現像受付をしている女性のフォトショップさばきはメチャクチャ高速です。提出されたデジタルデータをトリミングしたりしているのですが、とにかく早い。一見の価値あり。

●両替

銀行では円を取り扱ってくれません。円からタンザニア・シリングへの両替が出来ないのです。街の銀行だけでなくダルエスサラームの空港でも円を両替出来なかったです。

円を両替する場合はストーンタウン前のダラダラ(乗り合いバス)スタンド脇の道にある市井の両替商に行きます。しかしレートがかなり悪い。例えば1$=100円くらいのタイミングで両替にいったとして、1$=1640タンザニア・シリングくらいのレートで交換出来る場合でも、100円=1500タンザニア・シリングになります。1$=95円のタイミングでなんとかお願いをして100円=1600タンザニア・シリングで交換しましたが、この一回限りで後日いっても1500でしか提示してもらえませんでした。ひどい所では100円=1000タンザニア・シリングのレートの両替所もあります。ドルを用意していくか、カードでタンザニア・シリングを直接引き出すかした方がいいと思います。

かつろう

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国連で働く上でMBAは価値を持つのか .37

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先日国際協力分野で教鞭をとってらっしゃる大学教授のお話を聞く機会があった。

例えばUNICEFやUNDP等の国連で働くには最低でも修士号以上が必須条件となる。では開発分野や農業分野、保健分野や政治分野ではなく、ビジネス分野での修士号というのは国際協力を行う上で果たして意義があるのかということを質問させて頂いた。

結論から言うと国際協力の分野でもMBAは価値を持つ。もちろん全ての国連の仕事において価値を発揮するわけではないので以下講演内容含めてまとめてみた。

●仕事内容の観点:国連での仕事を三つに分解

国連の各機関によりまちまちではあるが、仕事内容を3つの分野に大別できるとのこと。

1、 オペレーション(ファイナンス、人事、総務等のバックオフィス)
2、 プログラム(途上国の現場でのプログラム策定・運営)
3、 コミュニケーション(広報・啓発)

このうち、1のオペレーションや2のプログラムに関してはMBAが役に立つ。ファイナンスなども専門の知識が必要だろうし、プログラムを運営する上では、大局観や利害交渉等幅広い知識・能力が必要になる。もちろん医療や農業などの専門性が必要とされる場合も多いだろうが、運営・マネジメントが重視される場合もあるだろう。

またバックオフィスの業務に関しては実際の民間企業での経験なども価値を持つようだ。例えばIBMで人事一筋20年の人がユニセフの人事部長になったりすることもあったとのこと。

しかし3のコミュニケーション(広報・啓発)に関してはMBAはあまり大きな価値を発揮できないようだ。

●組織の観点:UNICEFとUNDPの違い

例えばUNICEFとUNDPは国際協力という分野での国連機関として有名な2つの機関である。諸所活動の違いはあるが、MBAという意味ではUNDPの方が意義があるようだ。

なぜならUNICEFは実際に現場での実行まで行う色が強いらしい。

逆にUNDPは全体を取りまとめることが多いらしいからだ。例えば現場に入っているNGOや現地政府、他の国際機関や企業等利害関係者を取りまとめてプロジェクト大局的にマネジメントすることが多いとのこと。

現場の実行を重視するUNICEFの方がより専門性の高い遂行力が必要になり、マクロでみるUNDPの方が大局的マネジメントが必要になるようだ。

このように組織の役割によってMBAの必要性も変わってくると考えられる。

●BOPビジネスの観点

今後は企業と国際協力(NGO・政府機関・国連組織等)、営利と非営利の距離は縮まるはずだ。その一つがBOPビジネスだ。BOPビジネスとは途上国の低所得者層向けのビジネスだ。単に営利の拡大という市場の意味だけではなく、同時に低所得者層への便益を図ることが同時に可能なビジネスだ。

例えばJICAもこのBOPビジネスを促進する為に様々な取り組みを行っている。例えば協力準備調査(BOPビジネス連帯促進)事業(http://www.jica.go.jp/activities/schemes/priv_partner/BOP/index.html)で民間会社のBOPビジネスの調査に対して助成を行ったり、青年海外協力隊でもマーケティングという職種を設けたりしている。

このような流れの中でビジネスの文脈を理解しているMBAホルダーは国連等、国際協力の世界で今後より重要視されるようになるはずだ。

また、どのような組織にいたとしても立場があがり、組織マネジメントをしたり、全体の戦略を考えるという役割になるとおのずから判断力・決断力、大局観などが必要となってくる。その時にMBAの価値が発揮されるのではないかと思う。国連や国際機関においても例外ではないはずだ。

結論再度。
国連機関で働く上でMBAは価値を持つと言えるのではないか。

かつろう

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