CEOになるには短い名前の方が良い? .51

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青年海外協力隊は派遣される前に約70日間の訓練があります。

語学を中心としており、ホームクラスと呼ばれる外国語習得を目的とした授業と、テクニカルクラスと呼ばれる外国語での専門知識・スキルの習得を目的とした授業に分かれます。先生1人に対して1?6人程の協力隊候補生でクラスを構成します。

僕の場合はマラウイ派遣なので英語なのですが、本日その英語のホームクラス中にあった面白い話を紹介します。

●アメリカのキラキラネーム
日本でもキラキラネーム、DQNネーム等が取り上げられることが最近よくありますが、海外でも同様にきらきらネームが発生しているらしいです。(きらきらネーム・DQNネームとは普段あまり名前に使われない読みや漢字を使った珍名のことです。http://matome.naver.jp/odai/2131975843759446001)

どういう名前があるのでしょうか。

Exelちゃん。所かしこで自分の名前に反応してしまうのでしょうか。
Monalisaちゃん。絶世の美人になれるのでしょうか。
Yogaちゃん。体が硬かったら悲劇です。
Google君。先生と呼ばれ、色々聞かれそうです。
Hippo(カバ)君。カバオ君そのまま。
Mango君。南国では大人気。
(http://www.babycenter.com/0_unusual-baby-names-of-2012_10375911.bc)

最低でも2人以上に名づけられているとのこと。出会った瞬間二人は人生の苦難を分かち会えることでしょう。

●CEOは短い名前が多い
(http://www.livescience.com/13892-peter-deborah-top-ceo-names.html)

上記リンクの調査によると男性CEOやアメリカのセールスマンには短い名前の人が多いというのです。(あくまでLinkedlnという転職用SNSのデータベースによるものなので、分母にフィルターは掛かっていますが。)

1位はPeter、2位はBob、3位はJack、Bruce、Billというように続きます。(ちなみに女性では逆の傾向にあるようです。)

でもこれってただその名前の人が多いから、必然的にその名前のCEOも多くなっているんじゃないの?という疑問も浮かびます。そこで1950年代(現在54歳?63歳)の名前のランキングも引っ張ってみましたが決して短い名前が上位を占めているわけではありませんでした。ちなみにPeterは37位、Jackは48位、という結果でした。(http://www.babycenter.com/0_100-most-popular-baby-names-of-1950_1738074.bc)

仮説としては2つ成り立ちます。

1つは短い普通の名前を付ける親の方が、CEOになるべく遺伝や教育環境を子供に用意している。

例えば日本でも就職活動の時などにきらきらネームによって、不利を被ることがあるということを聞いたことがあります。面接官は名前を見ただけで、親の子どもに対する考え方を推測し、それにより子どもの成長環境、そしてその本人の能力・個性を推察するというのです。逆を言えば普通の名前の方が、単に名前だけで言えば悪い印象を与えない、つまり相対的に良い印象を与える可能性があるということです。

もう1つは短い名前を持った子どもの方がCEOになるべく資質・状況を獲得しやすい。

例えば名前を簡単に覚えてもらえる、呼び慣れている名前だと親しみを感じてもらえる、短く普遍的な名前の方が集団から孤立することが少ない等が考えられます。

恐らくこれはどちらも相互に関係するものではないかと思われます。


●●●
●●

名前が人生に与える影響は少なからずあると思われます。そう考えると、レッテルというものの力を改めて考えさせられます。そのものが実際どうであるかということだけでなく、どういう記号で外部に表現されているかということが、そのものや周囲にとても大きな影響力を持つということです。

自らの人生は何の為にあるのか、何の為に生きるのか、死ぬのかといった人生に対してのレッテル貼りも大切なのだろうなと感じました。

かつろう

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苦労して身に着けたものの価値?第二言語習得論の観点から? .46

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現在、白井恭弘著『外国語学習の科学』?第二言語習得論とは何か?という本を読んでいます。この本は第二言語習得、Second Language Acquisition=SLA、について初心者にもわかり易く解説しています。英語を勉強中の身として、いったいどういった研究がなされていて理論が構築されているのかを知りたくて読み始めました。

その中で興味深い部分があったのでご紹介致します。
結論から申し上げますと、距離の遠い言語を会得した人は、距離の近い言語を会得した人よりも認知能力が高くなるということです。どういうことか下記説明します。

まず第一にバイリンガルの子どもはモノリンガルの子どもに比べて認知能力が高いということがあるとのことです。サイモン課題というものが認知能力を測る際によく用いられるらしいです。コンピュータの画面に青い四角がでたら右側のキーを、赤い四角がでたら左側のキーを押すというルールを設定します。ところが、四角が画面の右側や左側に出るので、押し間違えが起こったり、押すのが遅くなったりといったことが起こるらしいのです。この正答率や回答速度を測るのがサイモン課題というものです。

そしてバイリンガルでも認知能力に差がみられると本では述べられています。
前提として言語には距離があります。例えばスペイン語とポルトガル語、日本語と韓国語の距離は近いと言えますが、日本語と英語の距離は遠いと言えます。つまり言語の距離とは文法や発音、単語などがどれだけ似ているかということです。この距離が近いほど、第二言語習得を簡単に行うことが出来ます。

研究結果として距離の遠いバイリンガルの方が、距離の近いバイリンガルに比べて認知能力が高いということが報告されているとのことです。距離の遠い言語の方が習得時に認知的負荷がかかる為、情報処理能力が高まるのではないかという仮説が述べられています。

僕は昔から日本語を持って生まれたことは英語を母語とする人に比べてハンディキャップなのではないかと思うことが多かったです。しかしこの認知能力のことを知り、必ずしもハンディキャップではないと感じました。

頑張って何かを身につければ、その身に着けたものだけではなくて、それを身に着ける過程で他の様々なものを得ることが出来る。その苦労が大きいほど、過程で得るものも大きい。

世の中は本当によく出来ているなと思います。

かつろう

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“不公平”という感覚はぜいたく品 .36

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●導入

皆さんは仕事を行う時に誰か一人がサボっていたらどう思うだろうか。
部活動の練習で誰かが遅れて入って来たのに急ぎもせずにゆっくりとし、すぐに練習に参加しなかったらどう思うだろうか。

恐らく違和感を覚えるに違いない。給料をもらっているのだからしっかり働くべきだ。特に共同で作業を行っている場合などはその分自らが仕事をしないといけなくなるのでそこに憤りを感じるだろう。

また部活動の例であれば規律が乱れると思ったり、自分がつらい練習をしているのにと不公平感を感じたりするだろう。

●タンザニアでは不公平という感覚はあまりない

タンザニアはザンジバルに来て約2週間になるが、ここではこの憤りや不公平感といったものがあまりないようだ。人々を見ていても、人から話を聞いてもそのようだ。これは単にここザンジバルのみというよりもアフリカに全体的にみられる傾向かもしれない。

例えば仕事を誰かがサボっていてもそれを咎めるでもなく、自らは黙々と仕事を行う。練習に遅れてきてもすぐには参加しないこともあるが、それをとやかく言ったりはしない。出来る人が行えばいいし、個人として練習を出来ればいいのである。

●不公平感が生まれる背景

ではこのような不公平感に関しての感覚の違いはどこから生まれるのであろうか。民族の持つ本能なのであろうか。それとも成長するなかで社会の中で形成される感覚なのだろうか。多分に社会的な感覚値であるので、恐らく成長する過程で後天的に備わる感覚なのだろうと考える。つまり社会の背景やシステムの差がこの公平感の感覚の相違を発生させるのだと思う。

●アフリカと日本の社会的な差

ではタンザニア、ひいてはアフリカと日本ではどのように社会的な差があるのだろうか。それは公平という前提があるかないかだ。

タンザニアにおいてはそもそも公平という前提が少ないのではないか。生まれた時から色々なものについて大きな差がついている。例えば貧富の差であったり、教育の差であったりする。識字が出来ないというようなことも珍しくはない。そのように公平な環境がない中では、そもそも人に公平を求めたりすること自体がおろかなのだろう。それだけ大きな差があっては人も自分と同じように出来るという感覚を持つことは正しくないのだろう。またアフリカでは成功している人が一族全員の面倒を見るということを聞くこともあるが、それも一つにはそのような背景が関係しているのだろう。自分の面倒は自分で見るというよりは、面倒を見ることが出来る人が面倒を見る。(もちろん部族的なつながりの強固さというものも別の背景としてはあるだろうが。)

翻って日本。日本ではアフリカに比べると個人間で環境や制度の差が少ないと言える。もちろん教育における格差や家庭の収入の格差はあるが、アフリカほどではない。少なくとも識字は出来るだろうし、中学は卒業しているはずである。生活保護といった制度もある。そのように背景や環境の差が少ないから他人にも自らと同じものを課して、それを公平として捉えるのだと思う。

●締め

そう考えれば“不公平感”や“公平感”といった感覚を持てること自体とても社会背景として恵まれているのではないか。

何れにせよ、出来る人がやる、やるべく人がやる、人のことをどうこう考えるのではなくて自分自身の事を全うするという姿勢はとても好きな考え方なので、日本においてもこの価値観を忘れずにいたい。

かつろう

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『全て自分の仕事』という心構え .34

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僕自身が仕事を行う上で大切にしている考え方がある。
『全て自分の仕事』という心構えだ。

職場で人から仕事を頼まれることがある。
そういう時に基本的に断ることはまずしない。
全て前向きに受ける。
それは『全て自分の仕事』という意識をもっているからだ。

同じ組織に属していて、同じミッションの為に一丸となって仕事をしている。
そんな中で人の仕事も自分の仕事もないと思っている。

もちろん欧米的にはジョブディスクリプションに
準拠した仕事以外をすることは或いはだめなのかもしれない。

もちろん法的に責任が明確になるということは必要だと思うが
根本的には全ての仕事を皆で協働するという意識が必要なのだと思う。

こういう考え方は小さい組織においてはより一般的なのだと感じる。
大きな組織・会社であればより業務が細分化、明文化されるが

小さい組織であればお互いが助け合わなければそもそも仕事が回らない。
そういう意味においては小さい組織を経験することで
人をフォローする能力、姿勢が培われるのだと思う。

●●●●●

またこの考え方は単に職場だけでなく地球単位でも置き換えられる
国家を超えて、地球上で解決すべき問題があったとする。
そういったときにその問題を自分の仕事と感じるのか、関係ないと感じるのか。

そこは感性の領域に入るのかもしれない。
創造力の領域に入るのかもしれない。

もしくは原体験が自分の仕事として認識させるのかもしれない。
色々な考えや、筋道はあると思うけれども

そういった問題を自分の問題、『全て自分の仕事』と感じられる
ということは一つのギフトなのかもしれない。

翻って、同じ組織内での他人の仕事を自分の仕事と感じられないのに
世界の問題を自分の仕事と感じられるわけがないと思う。

人の仕事まで行うのは大変だ。時間も労力も能力も余分に必要になる。
でもそうして色んな人から色んな仕事をもらっているうちに
自らの幅や体力も上がっていく

信頼もしてもらえるようになる
自分が助けてほしい時に協力してもらえるようになる

●●●

昔聞いたベンチャー企業の社長さんの話に下記のような言葉があったのをふと思い出す。

【成果】=【能力】×【努力】×【人から助けてもらう力】

個人の能力や努力には限界があるけれど、人から助けてもらうことには限界がない。
本当に大きな仕事を出来る人は、周りの人から助けられる人だと仰っていた。

世界の問題を心の底から自分の仕事と思えるように
想像力を働かせ、経験を積み、修練して行きたい。

かつろう

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欲しいものは見つかる?有益な情報収集の方法? .31

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荷物を詰める為の段ボールが欲しいなーと思って駅から自宅へ歩いていると既に立体的にテープで留められている段ボールが店先にいくつもおいてあるではないか。在庫整理かなにかしているようで、ご好意でそのまま段ボールを二つもらってきた。

とても幸運だと思った。

しかしこれは幸運というよりは単に段ボールを欲しいと意識していたから、視界に入った時気づいたに過ぎない。恐らく同じように置いてあったとしても、段ボールを欲しいと思っていなければ気にも留めないのだろう。

よく情報は恣意的に取捨選択されるということが言われる。自分の思考や好みに合わせて無意識的に情報取得に制約を課してしまったり、自分の考えを擁護するデータや論証ばかりを集めてしまったりするということだ。

この情報の恣意性は人間が元来持っている習性のようなものだと考えられるから、この恣意性を完璧に否定することは不可能だと思う。まず大切なのは、この恣意性を自分自身も持っていると認識することだと思う。そうすることで独善的になったりしないように気を付けられる。

恣意性をなくすことが出来ないのなら、逆にこの恣意性を利用すれば良いのではないか。つまり自分が一体何を欲しいのか、どういう人生にしたいのか、何が好きなのか、一体どういう社会になってほしいのかといったことを明確にして、意識をする。大切なのはそれを意識化、言語化することだと思う。漠然と思うだけでは情報の恣意フィルターは弱いように思われる。明確にしっかりと意識することでそういった自己実現に手助けになる情報が集まりやすくなるはずだ。

そしてもう一つ大切なのは自分がやりたいことを人に話すことだ。その目標に対する自分の意識を深められるということもあるが、大切なのは人に話すことでそれに関連する有益な情報が得られるということだ。その人が持っている知識・情報を教えてもらえ、またその人の知り合いなどで自分がやりたいことを支援してくれる人を紹介してもらえるかもしれない。

僕自身将来やりたいことや夢とかを話すことをつい恥ずかしがってしまうことが多い。しかしたとえ未熟で、可変性のあるものだったとしても人に話して相談することでかなり前進するはずだ。

情報の取捨選択の恣意性という無意識の部分と、人に話すという意識の部分の両方を上手くコントロールすることによって自分にとって有益な情報がどんどん集まるようになるのではないか。

かつろう

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突き抜ける感覚 .30

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『起』

今僕自身が最も渇望しているのは“突き抜ける感覚”だ。

『承』

英語を勉強していて、ブレークスルーを体験したことが2回ある。

一つは高校時代の速読だ。通っていた高校の近くに公文系列の英語塾があった。そこでは英語を早く読むということを教えていた。文章ごとに文字数表記があり、ストップウォッチで読むスピードを毎回測るというものだ。わからない文法や語句も出てくるだろうが、それらは気にせずに早く読むということを訓練するのだ。受験においては精読が求められる場合もあるが、往々にして文意をつかめれば正解できるという問題の方が多かったりするし配点も多い。ついつい精読をしがちな性格の自分にとってはこの訓練を行って英語を早いスピードで読むというある種の“てきとうさ”を身につけられたことは大きかったと思う。

もう一つのブレークスルーは昨年使ったDUO3.0という教材だ。その時はTOEICが700点中盤で停滞していた。約2か月大幅な改善が出来ずにいたのだ。もちろん勉強時間があまりとれなかったり、たまたま問題との相性が良くなかったといったことはあったとは思う。しかし自分の中でも進歩している感覚がなかったのだ。勉強法を考えたり、取り入れたりして自分で試すのが好きな僕は新たな方法を模索していた。そこで選んだのがこの教材。

単語ベースの教材なのだが、その単語が使われているある特定の文章を繰り返し聞くというものだ。すべての文章を聞くのに確か1時間くらいかかったと思う。そしてそれを毎日2回繰り返すのだ。出来る限り毎日最低でも1回は聞くようにした。
その結果TOEICも900点に達した。単に点数があがるだけでなくて英語能力(リーディングとリスニング能力)が上がったと実感出来たのだ。

『転』

ブレークスルーと聞くと10000時間というキーワードが思い出される。
なにか同じことに10000時間打ち込むとその分野でブレークスルーを得られるというのだ。
マイクロソフトのビルゲイツが最も早くその業界においてブレークスルーに達したのだとか。

よく日本では“3年は仕事を続けなさい”ということを聞く。
石の上にも3年というコトワザもある。

何故3年なのか。
そう、10000時間がキーなのだ。

例えば一年で稼働日が250日だとする。3年だと750日だ。
そして一日10時間働いたとすると7500時間になる。
12時間だと9000時間。これに休日出勤を足すとする。
そうすると3年?4年で10000時間に達する計算になる。

『結』

ブレークスルーにも様々なスケールがあると思う。
英語の勉強におけるブレークスルーは比較的短期間で得られるものだし、
仕事の専門性におけるブレークスルーは少々時間がかかる。

しかし人生においてのブレークスルー、
言い換えれば突き抜ける感覚・ポジションというのはどうすれば得られるのだろうか。

仕事を辞めていろいろやってはいるけれどこの突き抜けるという感覚が得られない。
突き抜けている人と会って、仕事をさせてもらうけれど、こちら側とあちら側の違いが明白に分かれていて、歯がゆさを感じる。

リスクをとっているかどうか。
全力で生きているかどうか。
自分がやりたいことをしているかどうか。
人生のミッションを持って、それに対して摩擦を恐れずまっすぐ生きているかどうか。
独立精神・自立心を持っているかどうか。
周りを巻き込むリーダーシップを持てているかどうか。

突き抜けたから、そういうものを持っているのか。
そういうものを持っているから突き抜けたのか。

しかし、そもそも僕が突き抜けていると思っている人は、自分を突き抜けているとは思っていない。であるならば突き抜けるとは内部的なものでなくて、外部的なものなのか。突き抜けたいとは、人からそう思われたい、いうなれば自己顕示欲の一つの表れなのか。

何れにせよここ数年の自らのテーマの一つは“突き抜ける感覚”だ。未だ道は見えないがこの感覚を追い求めて世界と戦いたい。

かつろう

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“道具”としての孤独?引きこもりのススメ? Vol.19

僕はたまに引きこもる。
誰にも会わずに、大して生産的なこともせずに数日引きこもるのだ。

自分自身についての考えを深化させる為だ。

日々仕事であったり、遊びであったり何かすることがあると人は満たされてしまう。
忙しく、何かやることがあると自らの人生に対して迷うということをしなくなる。
自分の人生にとって大して重要でないことであっても、何か“やった気”になってしまうのだ。

精神も安定するし、楽しく充実した日々を感じられるがとてもそういう日々はとても危険だと考える。
現状に対して疑ったり、将来に対して本当に意味のあることを考えたりしなくなるからだ。
そういった日々に流され続けていると気が付かないうちに打つ手がなくなるリスクがある。

そんな時に敢えて引きこもることによってものすごく危機感を感じることが出来るようになる。
自分は本当は何をしたいのか、何をすべきなのか、人生にとって重要なものとは何なのか、
重要な人とは誰なのか、そういったことを落ち着いてゆっくり見つめ直すことが出来るようになる。

『孤独は、知恵の最善の乳母である。』とはドイツの哲学者の言葉だがまさにその通りだと思う。
孤独は思考の原点だと思う。

中学、高校の自分の方が間違いなく物事に対して考えていた。思考を深化させていた。
それはやはりその時の方が孤独が多かったからだと思う。
しかしある時、考え過ぎることは不幸につながると感じ、考えるのを辞めた。思考を捨てた。
それにより豊かになることが出来た。
そのおかげで様々な活動をし、様々な人に出会い、様々な経験を出来た。

人の考え方とは振り子のようなものなのかもしれない。
孤独にどっぷりと浸かった後は、それとは逆の方向に活路を見出した。
しかしまた今揺れ戻っていて孤独を求めるようになっている。

しかし昔は孤独に飲み込まれる感覚があった。
しかし今は孤独と上手く付き合って行ける気がする。

言ってみれば昔は泳ぎ方・息継ぎの仕方をしらなかった。
知らないけれど深くまで潜ってしまい溺れそうで苦しかった。
そして浅いところで泳ぐ練習をし、再度深い所に戻ろうとしている。
今回はしっかり泳げるし、肺活量も上がっている。溺れることもない。

孤独を道具として上手く扱うことが出来れば、
人生を上手くコントロールすることが出来るようになるのではないか。

かつろう

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『採用基準』 ~リーダーシップとは?マッキンゼーの採用で問われる資質~ 書評その1 .16

【読んだ本】
『採用基準』伊賀泰代著

【著者背景】
マッキンゼーで採用・育成マネージャを務めた著者が、今必要とされている人材の資質について解説する。

【結論】
リーダーシップを身につければ自分の世界観が実現できる!

【要約】
マッキンゼーの採用基準としてもっとも重視されている一つがリーダーシップ”であり、本書はそのリーダーシップとは何かについて書かれた一冊。
リーダーシップとは成果目標に対して、時には摩擦も恐れず組織を率いていく能力のことである。またリーダーシップはトップだけでなくメンバーひとりひとりが持つべき能力でもある。

【感想】

●●リーダーシップはメンバー一人一人が持つべき能力●●

筆者はリーダーシップとはトップだけでなくメンバーひとりひとりが持つべき能力だと述べている。だからこそにアメリカでは入学や入社の際に全ての人に対してこの経験や資質を問うのだという。

何故メンバー皆が持つ必要があるのか。それはリーダーシップをもったメンバーであればリーダーの視点で物事を考えることが出来るからだ。成果を第一に優先する姿勢、時には摩擦も起こるが、それを必要だと思える感覚等が持てるからだ。
そういったリーダーシップを持たなければややもすると、組織や現状に対して不平や不満を感じるだけでそれを解決しようとしなかったりする。成果を出す為に責任をもつという自覚を皆が持つ組織程強いものはないということだ。

なるほどと感じた。確かに議論であれ、実際の活動であれ、自発的に考えて、責任を持ち、成果を優先出来るメンバー同士が集まればとても高い成果を出せると感じる。現にいまお手伝いしているNPOは経営陣が4人いる。そして4人ともとても強いリーダーシップをもっており、組織を引っ張っている。全員がリーダーとして自らの組織として自覚をもっているのだ。

組織はそういうメンバーで構成すべきだし、そういう意識を皆に持たせるべきだ。自らがメンバーになった時も、リーダーシップの意識を持ち続ければ、トップの人にとって心強い一員となるのだろうと感じた。

●●NPOはリーダー育成機関●●

また筆者はNPOはリーダー育成機関としてとても優れていると述べている。理由は下記2点。

1、 NPOには強力なリーダーがおり、またリーダーとの距離が近い。
::身近で学ぶことが出来る。
2、 NPOは組織が小さく、固まっていないことが多い。
::決められた役職だから、リーダーシップを発揮するというのでなく、
事前発生的にリーダーシップを発揮し、その結果として役職に就く。

なるほど。確かにその通りだと思う。また色んなところで問題が多いのでそれを発見・解決する機会に恵まれるのもリーダーシップの育成にはいいと思う。同時にこれはベンチャー企業にも当てはまると思う。

現在お世話になっているNPOでもすでに2人起業家を排出し、経営陣のお一人は個人事業主として独力のとても高い方だ。もちろん元々の資質も高かったのだろうが、上記のようにリーダーシップを鍛える機会にも恵まれたのではなかろうかと思う。

●●青年海外協力隊×リーダーシップ●●

青年海外協力隊にとってもこのリーダーシップはとても必要な資質だと思う。途上国にいって、言語も文化も違う環境に放りだされて、仕事をしないといけない。
場合によっては受け入れ側には必要と思われていないことだってある。そんな中で自分が存在するバリューを出して、成果を出さないといけない。そう考えてた時に一番必要なのはこのリーダーシップではないかと思う。
もちろん語学能力もとても大切だが、それだけでは意味を持たない。完璧でなくとも伝える情熱と志があれば言葉は伝わる。

単なる一メンバーとして派遣された組織で仕事をするのではなくて、責任と自覚をもって、摩擦を恐れずに成果を貪欲に求める。そういう姿勢で2年間過ごせればとても実りのある時間を過ごせるのではないかと思う。

とても読みやすい本なので協力隊で派遣される人は時間あれば是非読んでほしいと僭越ながら思う。
また協力隊に派遣されることが決まっていて尚且つ派遣まで数か月時間が空いているという人には上記の理由によりNPOでのインターンをお勧めする。現地活動で必要なリーダーシップが少しでも学べるはずだ。

かつろう

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以下備忘録として。(個人メモ的な意味外が強いので読む必要はあまりないです。)

【内容】

  • アメリカのビジネススクールの目的
    • 1、世界中から優れた人材を集めて排出する
    • 2、アメリカのビジネスマンに世界を見せる
  • 例え語学力に差があったとしてもそれを埋める専門性・スキルがあればグローバルなチームを率いていくことも出来る。(P27付近)
  • マッキンゼーは下記のような人材を求めている
    • 1、リーダーシップ
    • 2、地頭のよさ、もしくは個別分野における知識や経験
    • 3、英語力
    • 日本には2はいても1と3を兼ね備えた人はなかなかいない。
  • コンサルタントはゼロベースで考えることを叩きこまれる。自分のキャリア・進みたい道についてもゼロベースで考え、それまでとは違う選択肢を取るようになる。(P31付近)
  • ケース面接で見られて言えるのはケースを上手く解けたかではなく、その人がどれほど考えることが好きか、どんな考え方をする人なのかである。思考プロセスが確認されている。
  • 思考力=思考スキル+思考意欲+思考体力。
    フレームワーク等の思考スキルは後からでも身に着けられるのでそれが重視されるわけではない。(P46付近)
  • マッキンゼーではスパイク型人材も求められている。何か一つでも秀でたものがある人材。バランスは悪いが、そのスパイクが問題解決に大きな影響力を持つこともある。(P52付近)
  • 単に分析・解発見の問題解決スキルだけが求められているのでなく、人を動かしそれを実行していく能力が求められている。(P68)
  • チームメンバー全員にリーダーシップがあることが求められる。その方が成果が高い。リーダーシップは成果を最大化するために最適な行動をとれる資質であるので、全メンバーがリーダーとしての自覚を持てば自説に拘らず最適解を取れる。故にアメリカでは、入学、入社等全ての人間にリーダーシップの経験・資質を問う。
  • 管理職には以下の三つが求められる。(P102付近)
    • 管理能力(マネジメント能力。業務管理、進捗管理)
    • リーダーシップ(チームの成果を上げる能力)
    • プレーヤーとしての能力
  • リーダーとは成果目標に対して組織を率いていく人。
    その為には摩擦も起こる。否定もされる。また目下の意見が正しければそちらを採用する。そういった成果第一に考えた行動をとって組織を引っ張れる人。(P104付近)
  • リーダーがなすべきこと
    • 目標を掲げる
    • 先頭を走る
    • 決める
    • 伝える
  • リーダーの基本動作
    • バリューを出す
    • ポジション(明確な意見の立場)を取る
    • 自分のリーダーは自分
    • ホワイトボードの前に立つ(責任と権限を持つ)
  • リーダーは出来るようになる前にやる。
    その中でリーダーとしての能力を身に着けていく。(P154付近)
  • グローバル人材でなくグローバルリーダーの育成が必要。
    グローバル人材はグローバルで仕事が出来る平社員的な意味合いでリーダーシップを持っているかどうかは問うてないので。(P169付近)
  • 日本ではむしろ個人の力がとわれて、欧米ではチームでの成果を出した経験が問われる。
    入学や就職、転職において。(P178付近)
  • アメリカではリーダーシップは学び鍛える資質だという認識がある。
    だからこそに授業、研修コースなどが多い。
    日本はどちらかというと天性の資質としてみる向きがある。(P204付近)
  • マッキンゼーでは問題解決能力と同等かそれ以上にリーダーシップの能力が育成される。
  • NPOはリーダー育成機関としてとても優れている。(P215)理由は下記2点。
    • NPOには強力なリーダーがいること。
      NPOは強力なリーダーシップなしには創設されない。
      そのリーダーは成果目標(ミッション、解決した問題)が明確でその為ならいかなる障害も乗り越えるというリーダーシップを強く持っている。
      また小さい組織のことが多いのでそのリーダーシップを身近に見ることができる。
    • ?NPOにはがっちりとした組織構造が存在しないこと。
      企業では役職に制限されるが、NPOではリーダーシップを発揮する人がそれが必要なポジションにつく。役職にリーダーシップが規定、制限されない。
  • リーダーシップを身につければ自分の人生がコントロールできるようになる。
    自分の世界観が実現できる。(P223付近)
  • 世界が広がる。色んな価値観の人とグローバルに出会えるようになる。
  • 与えられた枠の中で生きるのではなく、自分自身の力で人生を設計できるようになる。(P239付近)
  • マッキンゼーの採用基準は地頭や論理的思考能力だけでなく『将来のリーダーとなるポテンシャルを持った人』

わからないと言える勇気 .11 

カンボジアから帰国し、昨日お世話になっている方に訪問をした。
その際にジャケットが必要だった。スーツを持っていたのでそれで行こうと思っていた。しかしその前夜0時を越えてからスーツを確認するとしわくちゃだった。
それもそのはず、カンボジアで衣類圧縮袋の中で一度も出されることもなく眠っていたのだから。

チノパンにジャケットというスタイルならなんとかなる。しかしジャケットがない!
朝8時に開いている服屋さんを探す。ファスト・ファッションの某大手U社の東京駅にある店舗なら空いているということがわかり、朝一で向かうことに。

お店は駅構内と、駅の外にもあった。まずは駅構内の店舗を見てみることに。
駅構内の店舗はあまり大きくなく、ジャケットがおいていなかった。
店員さんに聞いてみる駅の外の店舗も同様の商品しか扱っていないのでジャケットはおいていないとのことだった。
銀座店や新宿店の大型店ならおいているが、開店は10時とかになるらしい。

ガーン、終わった。ジャケットなしで行くことになるのか。
社会人として日本に帰ってきてそうそう凡ミスをしてしまうのか。
そう思いながら駅のホームに上がっていたが、なぜかハッとひらめいた。

“果たして店員さんが言っていることは本当に正しいのだろうか。”

物事に対して懐疑的な態度を良くも悪くも持ってしまう性格が出たのだ。
実はあの店員さんは入ってすぐで、あまり知らないのかもしれない。
ベテランで知っていたとしても、店舗ごとにマネージャの権限で商品を帰れるのかもしれない。とにかく、あの人が言うことが間違っている可能性があると思ったのだ。

東京駅の外の店舗に、駅のホームから電話をしてみることに。
“生地が柔らかいものにはなりますが、ジャケットはありますよ。”
あったー!無事にジャケットを買うことが出来ましたとさ。

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●●

僕はまがいなりにも前職で営業をしていた。
工場で使うような制御機器の営業だ。正直文系出身の僕としては毎日わからないことだらけだった。2か月缶詰で研修を受けたとはいえ、電気や機械のことについてわからないことばかりだった。

そんな中でお客様より質問をもらって答えられないことも多かった。
わからない質問をされた時の営業マンとしては
“この質問に答えられなかったら、知識を持っていないということで信用を失うのではないか”
ということを第一思ってしまう。
その恐怖心からついつい知らないことでも答えてしまうこともある。

しかしそのように答えて、それが後々間違いだったなったらどうだろう。
お客様は二度とその営業マンの言葉を信じてくれなくなる。
この人の言うことは信用することが出来ないと思われてしまう。

わからないことがあっても良いと思う。
わからないならわからないとお客様に伝えて、その場もしくは、後程調べればよいだけである。

前職の際もお客様と商談中にわからないことがあると、その場で例えば本社の技術スタッフに電話をかけていた。また、関係を築きたいお客様であればあえて宿題として、後日回答をしたりしていた。

もちろん本当に基本的なことは答えられなければならないし、
出来れば全ての質問に答えられるように日々研鑽すべきだ。
しかしそれでもわからないこと、知らないことというのは必ず出てくる。

例えば上記のU社の件に関しても、少しでも不確かだったとしたら、駅の外の店舗に対して確認の電話をすればよかった。
小売りで二度会う可能性が低い場合であればこの信頼の低下は大きな問題ではないか個別に営業として担当する場合、この信頼の喪失は大きな痛手となる。

上記は営業という社外的な対応を書いたが、もちろんこれは社内的なコミュニケーションにも言える。特に部下等立場が下の人にはわからない、知らないとは言いにくいこともあると思う。しかし知ったかして間違ったことを言う上司程、信頼できない上司もいないと思う。逆に立場が下の人に対しても知らないことは色々聞いていくくらいの姿勢でなければならないと思う。そういう関係を築くべきだと思う。

偉ぶらず、謙虚に、“わからないことはわからないという勇気”を持ち続けたい。

かつろう

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成長の強要 .5

大学時代の友人に言われてはっとしたことがある。

『東京にいると成長することを強要される』
?
それを聞いたときに自らの中にある無意識の前提に気づかされた。
常に学んで、成長して、経験を積まないといけない。
そういったことが無意識のうちに刷り込まれているのだ。
途上国の人は決してそんな前提を持っていない。
日々同じことを同じように繰り返して、
彼の子供も、またその子供も同じ仕事をする。
それでも幸せなのだ。
日本にいる時は大学時代の友人といまだに麻雀をよくする。
会話にしろ、麻雀にしろ、何一つ建設的なこと内容はない。
また年に一回正月に地元に戻って
保育園、小学校時代の友人たちと集う。
毎年毎年、ビレッジヴァンガードの福袋を買っている。
だいたいオールで飲んで帰るまでに中身の8割方は
皆にあげたり、鍋で茹でられたりしている。
そういった友人たちとのコミュニケーションが
とても心地よく感じるのは
成長を強要されないからなのかなと思う。
日々、生き急ぐ強迫観念の中で
そのままで、ただ今のままで、笑いあえる関係、空間。
実は建設的な関係や刺激し合える関係よりも
そういう無意味で一見価値がなさそうな関係の方が築くのは難しいのかもしれない。
緊張と弛緩、成長と安楽、疲労と癒し。
途上国においてもそういう関係と場の
バランスを上手くとることが大切なのかと思います。

かつろう

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